小説 川崎サイト

 

除夜の鐘


「除夜の鐘が鳴らなかった」
「もう明けてしばらく立ちますよ。もう古い話です。遠い過去の」
「いやいや、まだ一週間も経っていない」
「年を越すと、ガクンと遠ざかるものです。去年になりますからね」
「まあ、そうだが、去年は除夜の鐘が鳴らなかった。いつも年越し前から聞こえてくるはずなのだがなあ」
「何かの都合で中止したのでしょ」
「毎年鳴っているのだがなあ」
「いつ頃からです」
「さあ、おそらく子供の頃から」
「じゃ、ずっとそこに住んでいるのですね」
「そうだな。だから、こんなのは初めてだ」
「警鐘を鳴らしているんじゃないのですか。時代に対して、世間に対して」
「だって、鳴っていないのだから」
「鳴らさないことが警鐘なのでは」
「ほう、妙なことを」
「沈黙の方が怖いですから」
「だが、伝わらない。聞こえないんだから」
「聞こえないと言うことが伝わるでしょ。だから、あなたもそれに気付いた。鳴っていないと。どうしたんだろう、今年はと」
「しかし、何かの事情で、鐘が突けなかったかもしれんしな」
「でも、毎年でしょ。あなたが子供時代から、ずっと」
「そうだと思うが、聞こえてこなんだ年もあったのかな。覚えていない。本物の鐘とテレビでやっているお寺の鐘が混ざりあっていてな」
「行く年来る年の番組ですね」
「そうそう、それで鳴っていても気付かなかったりした。それよりも年越し蕎麦に気を取られてな。こんな時間に食べるのは良くない。しかし、年に一度なら良い。年越し蕎麦なので、年越しを挟んで食べる。十二時前から食べる。早く食べてしまうと、明ける間に終わってしまう。注意が必要だ」
「そんなもの大晦日に食べればいいのですよ。どうせ蕎麦屋の陰謀なんですから」
「いや、縁起物は多い方がいい。夜中に蕎麦を食べてもいいのだからな。しかし、年に一度に限られる」
「はい」
「夜中に食べる蕎麦。これは昼間は食べてもいい。だが、夜には食べない。夕食でなら良い。しかし深夜にかかる時間は駄目。だが、年に一度だけ、それが許されるのが年越し蕎麦。私はそう覚えている」
「はいはい」
 その後、問題の鐘。調べてみると、住職の体調が悪くなり、息子が旅行中で、突けなかったとか。
 また、寺の近所から苦情がそれとなく出ており、夜中、ゴンゴンと五月蠅いと。
 警鐘を鳴らしていたのは、近辺の人達だった。
 
   了

 

 


2022年1月9日

 

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