小説 川崎サイト

 

年明け


 日々違う。当然だろう。日にちが違う。これは小さいが、積もれば大きい。
 そのうち一年になり、十年になる。そして百年になるが、それを勘定する人はもういないかもしれないが、年月はその先も続くだろう。さらに年月そのものの尺度がなくなったりするかもしれないが。
 日々、天気が違う。同じような天気でも、同じような晴れ方でも、雲が違う。雲が全くない日が続いていたとしても、風の強さが違う。それも同じでも、それを見ている人が昨日と同じ状態かどうかで違ってくる。
 昨日食べたものにより、見え方が違うわけではないが、体調の変化は常に起こっているだろう。
 ただ大凡、似ているような日は、同じような日と感じる。極端な変化、支障が出るような変化。気になるような変化がなければ。
 草花や木々も、当然変化している。昨日咲いていなかった花が咲いていたり、今日は萎れだしていたりする。
 樹木は昨日とそれほど変わらない枝振りだが、少し立つと徐々に伸びている。数年経過すれば、高さを感じるほど、いつの間にか新しい枝ができており、青い葉を付けていたりする。当然、幹も年輪を重ねる。年々、輪が増えていく。
 真田は新年明け、しばらくしてから、そんなことを感じた。一年単位で物事を考えたためだろう。一年での変化はそれなりにある。一年前にはなかった用事とかがある。また、消えたものも。
 真田が決心して、そう決めたものではなく、外からの都合、他人の都合などで変わってしまう。これは望んでいない変化もあるし、逆に良かったと思える変化もある。真田の都合だけでは何ともならないことが多い。
 しかし、決め事はできる。方針のような。また一寸した習慣の修正とか。新たにやりたくなったことや、もうやりたくないので、やめてしまうもの、一つのことだけではなく、色々なものが移り変わっていく。
 当然、滑らかな変化もあれば、寝耳に水もある。中耳炎になりそうだ。
 しかし、変化は薄々分かっているようなところもあり、また一寸したガタつき程度なら柔軟性の底を突かない限り、何とか乗りこなせる。
 真田はそんなことを年明けに考えていたのだが、そう思うだけで、特に何もしなかった。
 
   了

 

 

 


2022年1月10日

 

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