小説 川崎サイト

 

風の股三郎


 風の強い日だった。しかし、晴れており、空気が澄んでいるのか、青空が鮮やか。悪いガスなどを風が吹き飛ばしたのだろう。それは何処へ持って行かれたのか、または拡散し、濃度が薄くなっただけもしれない。
 冬の陽射しを有り難く思うものの、風が加わることで、体感温度はかなり低い。
 元木は風で風の股三郎を思い出した。何故そこに連想が行ったのかは分からない。これは偶然引っかかったのだろう。
 風の股三郎、ランナーだ。しかし健康のため、軽く走っている人。スポーツマンでもないし、そんな大会にも出ない。散歩人が歩いているようなところを走っている。股三郎一人ではない。グループで走っている人もいる。
 この股三郎。そういったジョギング仲間内での呼び名。股三郎は一人で来ているので、仲間はいない。
 問題は股だ。股ぐらだ。ここがはっきりと形が分かるズボンを履いている。トレーニングパンツ、所謂トレパン。そして半パン。その股ぐらがアヒルのように見える。
 そして、この股三郎、かなり早い。まるで風のように。しかし、ここに来て走っている人達と比べてのことで、歩くよりも早い程度の走り方をしている人が大部分。だから股三郎が特別早いのではない。
 アヒルが嘴を突き出しながら走っているのだが、見たくなくても見てしまう。そこを。
 元木はそれを思い出したのだが又聞きで、元木が見たわけではない。
 実は誰かの小説で読んだのだ。そのタイトルが風の股三郎で、全くのフィクション、作り話。
 ただ、作者は本当に股三郎を見た可能性もある。それをモデルにしたのだろうか。
 元木は、すっとその風の股三郎を通過し、奥多摩へ猫又を探しに行く思い出へと飛ぶ。何の繋がりもないが、連想とはそんなもの。マタで繋がっている。
 これは上京したとき、今日のような風が強いがよく晴れた日。時間が余ったので、奥多摩へ行くことにした。
 奥多摩の猫又。これもフィクションだ。しかし、その雰囲気でも味わおうと、電車に乗った。
 冬場なので寒いため、山の中を急ぎ足で歩き、奥多摩湖を見ただけで終わった。
 立ち止まると寒い。しかし、猫又のいる風景は田園地帯。しかし奥多摩は山だ。雰囲気が違う。関東平野の終わるところに、山があり、その山を背景に太った猫が歩いている。江戸時代の話で、これもフィクションなので、ロケーションが合っていないかもしれない。
 冬の晴れた日の風。それを受けながら正木はそういういい加減な思い出、しかも体験したことのない誰かが作ったフィクションを思い出した。
 以外と何処かで聞いたり見たりの疑似体験も、連想の中では、区別されないで、繋がるものだ。
 そして、同じ冬の晴れた日の風を受け、同じものを思い浮かべるとは限らない。
 寒くなってきた。体が冷えたのだろう。元木は連想はそこでやめ、戻ることにした。
 
   了
 

 


2022年1月16日

 

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