小説 川崎サイト

 

妖怪狐火


 冬の夕方。まだ日は残っており、斜光。町から一段上がった里山。少しだけ自然が入っており、誰も手入れしないような草地や繁みがある。
 高い木はなく、人が植えたのか、勝手に生えてきたのか、雑雑としているが、雑木林という規模ではない。小屋があるが、使われていない。
 古そうな農家もあるが、ポツンとあり、村外れに建っていたのだろうか。半ば朽ちている。そうなってから結構間がないのか、室内は見えない。
 その農家までは坂道で、この家専用の小道。大きな家ではないが、敷地は広い。ただ、車は坂道まで入り込めないようなので、時代が分かる。
 狐火を見たとの話を妖怪博士は老人から聞いているところだが、もう答えは分かっている。
 農家と下の道との間の草地。元々は花畑だったのではないかと思われる。老人の話では、今ではススキだけが目立つ。
 見たのは斜光の差す夕方。そしてススキの穂にそれが当たり、光って見えたのだろう。絵に描いたような謎解き。
 ススキを枯れ尾花とも呼ぶ。幽霊見たり枯れ尾花よりも、その形は狐火、鬼火。そちらに近い。
 だから、老人が見たのもそれだろう。風でススキがなびき、それがゆらゆらと燃えているように見えたはず。
 妖怪博士は老人にそう説明すると、そんなことは分かっていたらしい。枯れ尾花の狐火ではなく、日が沈み、もう薄暗くなってからでも燃えていたと。
 空には少しだけ赤味が雲に残っているが、その陽を地上に降ろすのは無理だろう。
「別の照明ではありませんかな。車のヘッドライトとか」
「それなら、瞬間だと思う」
 狐火。それは古典だ。そんなもの、今どき流行らない。流行らないものほど目撃例も減る。
「懐かしいですなあ、狐火とは。しかし農家があるようなところは里山とは言え、真っ暗な山の中じゃない。周囲はまだ明るかったのでしょ」
「はい、薄暗いですが、まだよく見えていました」
「里山、村の外れ、とかでの狐火、鬼火の例もありますが、やはりり川沿いとか、土手とか、そう言った場所が多いようです。まあ、光っているだけ、燃えているだけなので正体は分かりませんがね。また、狐の提灯というのもありまして、一寸した提灯行列。または祭り提灯のように、横にずらりと並んでいたりとか」
「そんなのじゃありません。一つだけ、メラメラと」
「どれぐらいで消えましたかな」
「数分」
「移動は」
「少しだけ」
 ススキの穂が揺れる範囲だろう。
「何だと思われます? 博士。わしは狐火だと信じます」
 誰かが老人を驚かすため、そんな照明とか仕掛けを作ったとは思えない。そこまで調べるには老人の人間関係、交際範囲から、そんな悪戯をしそうな人間をつきとめたりと、もう妖怪探しではなくなる。人の手ではなく、自然に起こったことではない現象でないと、妖怪の仕業に持ち込めない。
「それで、どうして欲しいのですかな」
「いえ、この話を報告したかっただけです」
「なるほど」
 調査依頼ではなかったようだ。
「この時代でも狐火は出ます。それをお知らせしたかったのです」
「はい、ご苦労様でした」
「では、このへんで」
 老人が帰ったあと、妖怪博士は、狐にだまされたような気になった。あの老人の訪問。それこそが狐の悪戯か。
 しかし、こんな、ごみごみとした下町に、わざわざ狐が来るわけがない。
 光、燃えているように見えるススキの穂。何かの原因で、または老人の見間違いで、そうなったにせよ。分からないことは狐の仕業にするのが定番。これが一番、罪がないためだろう。
 
   了

   

 

 


2022年1月24日

 

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