小説 川崎サイト



追跡

川崎ゆきお



 私はいつもその道を自転車で走っているわけではない。
 また、いつも同じ時間ではない。
 しかし偶然、時間と場所とが重なることがある。
 その道は駅前からの裏道で、住宅街へと繋がっている。
 その自転車を見かけたのは二度目だ。
 自転車に特徴があるのではなく、乗り方に癖があった。
 左手をだらりと下げ、右手だけでハンドルを握り、かなりのスピードで駆け抜けてゆく。
 二晩続けて遭遇したことから察するに、勤め帰りの男だと思える。
 駅前に自転車を停め、家まで自転車で通っているとみた。
 昨夜は駅前の雑踏で、あっと言う間に追い抜かれた。
 私はさほどスピードを出すほうではないので、抜かされても不思議ではない。
 気にとめる必要は何もない。
 しかし、青年の行く方角と私の散歩コースとが重なっているようなのだ。
 追い抜かれたときは、かなりのスピードのように思えたが、それは瞬間だったようで、その後は追いつけそうなスピードになっていた。
 私は距離を詰めたいと思い、いつもよりペダルを速く回転させ、三段変速のギアを二速に入れた。いつもは一番軽いギアで走っているので、速く走りたいという気持ちは普段はない。
 コンビニの横を左折した。
 そこで新たな道に入る。
 この裏道は道幅が少し広い住宅道路で、古くから建つ屋敷が並んでいる。
 車は殆ど通らず、夜半に歩いている人も少ない。
 道は真っすぐに伸び、いつも追い風で、軽快に走れるため、お気に入りのコースになっていた。
 前方をゆくその男も、この道が自転車で走るのに気持ちが良いことを知っているのか、または偶然、家までの最短コースなのか……それは分からない。
 私は男を追いかけているが、いつものコースを外れてまで、追跡する気はなかった。
 ただ、一寸気になるだけで、一寸意識している走り方になった。
 次の信号は大きな道路と接していた。
 あの男が信号を待つ姿が小さく見えた。
 並べるかもしれないと思い、ペダルを強く踏んだ。
 右足、左足と、交互に力を加えた。太ももがだるくなるが、男の姿が徐々に近付いて来た。
 あと一息と思った瞬間、男が走りだした。
 信号は赤のままだ。
 車列が切れたのだろう。
 男は大きな道路を横断し、裏道の続きを走った。
 その先はY字型で、私がいつも通るのは右側だ。
 男も右側を選択した。
 男との距離はかなり離れ、殆ど見えなくなった。
 私は追跡を諦め、いつも通りのゆっくりとしたペダルの回転に戻した。
    ★
 昨夜はそんな感じだった。
 そして今夜も同じパターンになっている。
 コンビニ前を左折し、裏道の直線コースに入ったとき、私は本気で追いかける決心をした。
 その男のスピードは昨夜と同じ速度のはずだ。
 意識しているのは私だけ。
 私は全速力で追いかけた。
 しかし、その男は速く、徐々に引き離されてゆく。
 昨夜と同じように、信号待ちで男は止まった。
 昨夜より男との距離が短いのは、私が頑張ったためだ。既に呼吸が苦しく、太ももも痛い。
 左足を休め、右足だけ力を込めて踏む。右足がだるくなると、休ませていた左足で踏む。
 至近距離まで近付いた瞬間、信号が変わり、男は走りだした。
 男は信号待ちで休んだためか、その後スピードを上げた。
 私はスピードを維持出来ず、失速した。
 対向車が来た。
 男はスピードを緩め、路肩に寄った。
 一方通行の裏道を自転車で逆行している。
 対向車はタクシーだった。さすがに裏道に通じている。駅前までの最短コースをこの運転手は知っているのだ。
 Y字路を昨夜と同じように右へ入った。
 距離がまた開いた。
 住宅街を一直線に貫くトンネルのような道を突っ走る。
 私はスピードは落ちたものの、諦めずに前を見た。
 遥か彼方に男が見える。
 見えている間は追いかけることにした。
 私はこんなスピードで自転車に乗るのは久しぶりだ。
 最近はのんびりと移動する二輪の車椅子のようなものだ。
 私は疲れを感じ、速く走るのを諦めた。
 ギアを一番軽いのに落とす。
 前方の男との距離が縮まっているのか、背中がよく見えるようになった。
 不思議だった。
 私の追跡に気付いていないはずだし、また、こんな競争など頭にないはずだ。
 家が近付いたので減速したのだろうか。
 駅から西方角へかなり走っている。この場所なら、ひと駅先のほうが近い。
 その男は電車を降り、自転車に乗り換えたのではなさそうだ。
 駅の周辺に勤め先があるのかもしれない。
 走っている先に神社がある。その手前でいつも私は右折して帰ることにしていた。
 部屋から南下し、駅前の繁華街を通り、西進し、神社前を通過し、東進で部屋へ戻る周遊コースだ。
 真っすぐに伸びるこの裏道も神社にぶつかり、左右に振られる。
 その男は神社前を右折した。
 私が戻るおりの道だ。
 男は神社沿いに進む。
 この辺りに家があるのかもしれない。
 男は神社を回り込むように、裏口から境内へと侵入した。
 既に十二時前だ。
 私は裏口の手前で止まり、境内を覗き込んだ。
 外灯が所々あるので、樹木で囲まれていてもそれほど暗くはない。
 男の姿はない。
 しばらく待ったが男は出て来ない。
 別の裏口から抜けたのかもしれない。
 境内を抜ける近道なのかもしれない。
 私は境内に突入した。
 神殿の真横に出た。
 昔、この辺りは村だったのだろう。
 茂みの横に自転車が止まっている。
 あの男の物だ。
 私は神殿の陰に隠れた。
 まだ、あの男がいるかもしれない。
 数分経過した。
 私は自転車を降り、そっと、あの男の自転車に近付いた。
 人の気配はない。
 茂みの奥へ向かう切れ目がある。
 その奥に小さな祠をある。
 赤い鳥居が申し訳程度に立っている。
 お稲荷さんのようだ。
 私は携帯電話を開き、その明かりで祠の扉を照らした。
 扉は簡単に開いた。
 そこに祭られている物があった。
 丸い形をしている。
 私はそれを覗き込んだ。
 鏡のようだ。
 じっと目をこらして見ていると、人の顔が浮かび上がった。
 私の顔だ。
 私は携帯電話を閉じた。
 そしてゆっくりと振り返った。
 茂みの入り口に自転車がまだある。
 あの男はここで消えてしまった。
 私は境内を出た。
 そしていつもの裏道に戻り、帰りの散歩コースを走った。
   ★
 次の夜。同じ時間に、またあの駅前に出た。
 すると、昨夜と同じように、その男が追い抜いて行った。
 
    了
 

 

          2003年10月29日
 

 

 

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