小説 川崎サイト

 

日常の闇


 日頃、やり慣れていないことをやった翌日、また日頃の暮らしぶりに戻るのだが、これが意外とほっとする。ホームに帰る。ホームポジションに戻るためだろうか。
 一日内での射程は分かっている。これを退屈だと思うわけではなく、そちらの方が安定した暮らしぶり、一日の過ごし方になる。
 これは年々保守的になるようで、違うことをするよりも、日々の繰り返し中で、一寸違えてみたりする。違うことを少しやるわけだが、日常範囲内。ずっと繰り返されている日々の内。
 冒険から戻った翌日、ほっとするのは、気を張る必要がないためだろう。日頃から刺激的なことばかりやっているというような仕事もあるが、それが普通になれば、もう刺激とはいわないかもしれない。
 牧村は前日に一寸出掛けていて、忙しい思いをした。知らないわけではないが、半ば未知の世界を彷徨っていた。
 半分は知っているのだが、これは似たようなことを一度体験しているため、ああ、これだなと、未知のことでも、何とか牧村流に解釈し、慣れたこと、既知のこととして消化していった。
 ただ、やはり現実は生ものなので、予備知識とは関係なく、全く未知の領域に入ることもある。今までのパターンにはないような。しかし、何とか型に填め込もうとする。
 未知を既知にしたいのだ。しかし、知っているだけでは現実はまた違う。
 人知では計り知れないこと、幽霊とか不思議な現象と遭遇したわけではないが、謎を残したままの現実もある。だが、現実そのものが実は謎で、それは人知では解明できないだろう。ただの想像になる。
 そういう目で見ていると、見慣れた日常風景も、何か不気味に見えてくる。ここは安定した場所のはずだが、一つ踏み外せば、違うところへ簡単に飛ばされる。
 また、慣れ親しんだものほど、油断がある。心配するようなことがないので、油断しているのだが、これも紙一重の差で、怖いことになるかもしれない。だが、普通の日常生活ではそこまで神経を尖らせない。
 注意深く過ごしているわけではないが、そういう癖が付いているためだろう。危ないところは知っているし、確認もする。これは習慣化されているので、自動、オートだ。
 それでも、とんでもないことが起こる場合、不運だと思うしかない。運が悪かったのだと。
 昨日の冒険を終えたばかりの牧村は、そんなことを思いながら、日頃からやっていることを始めた。毎日繰り返しているようなことなので、やはり気が楽、気安い。気楽だ。
 つまり気の問題が大きい。冒険内容の方が楽な場合もある。もの凄く簡単。しかし、初めてだと、色々と想像しすぎ、気も張る。
 その違いだけかもしれない。いつもの日常が楽なのは、気だけの問題かもしれない。
 怖いこと、危ないことは実はところかかまわずやってくるのだろう。
 現実は生々しい。
 
   了

 

 



2022年1月30日

 

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