小説 川崎サイト

 

趣味の話


 これは楽しいだろうと思い、手に入れたものがある。興味があるのだろう。好奇心。それに、田村が見付け出したもので、探せばまだまだある。
 手に入らないものもあるが、一寸無理をすれば何とかなる。当然絶対に探しても見つからないものもある。これは最初から無いのだから、手に入れようがない。
 それで田村は暇に任せて、増やしていった。これもいいだろう、これがいいのだから、これもいけるはずと、余計なものまで増えてしまった。
 そのうち楽しむ時間よりも、探す時間の方が多くなる。探しているときの方が楽しいのだ。
 楽しさは移動する。楽しいと思うものが行き着いてしまうと、一寸毛色の違うものや、今までそれほどでもなかったものにも手を出す。だから動くのだ。
 物には限界がある。殆どのものを入手してしまうと、あとは横並びになる。別の種類ではなく、同じ種類の数が増える。しかし、物には限界があるので、それ以上探しても、もうなかったりする。
 だが、何処かにまだあって、知らないだけかもしれない。これは気長に待つしかない。これもまた楽しみだ。
 そして物には限界があるので、田村の視点を変えたり、好みを変えることで、何とかなる。
 だから、その後も増え続けているが、これは駄目だというのも多く持っているので、それらを捨てることになる。邪魔なだけ。しかし、気に入らないものにも価値がある。そっちの方向ではなかったことが分かるので。
 田村の好みではないが、世の中にはそれを好む人もいるのだろう。だから、存在する。
 それがどうして良いのかが分からない。その良さが。ここは田村を変えることで何とかなるはずなのだが、その良さが分からないと永遠に無縁となる。
 田村が好むもの。楽しめるもの。それは田村自身を表しているように見えてきた。
 それで、田村が好む種類とか、タイプとか、レベル、つまり程度とか、そういったものが田村自身の輪郭であり、中味なのかもしれないと。
 すると田村は、自分自身を探していることになるのだが、そんなものを探しても何ともならない。
 田村自身も、そういうものを楽しんだり探したり集めたりしているのだが、それも変わっていくのだ。
 つまり自分自身には定位置はないようなもの。ある期間だけの話で、常に変化している。別にそういうことを企てたわけではなく、水が低いところに流れるように、わりと自然とそうなる。
 世間でいう趣味の話なのだが、何かが炙り出されるような気がした。
 そして田村は相変わらずそれを続けている。飽きないでやっているのだから、それだけでも大したものだ。
 
   了

 


 


2022年2月26日

 

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