小説 川崎サイト

 

汎神


 今日は凡々でいいかと三村は思った。
 平凡で、特に何もない日。良い家のボンボンではない。
 それは最近一寸刺激のある良いことが続いたため。それほど続くわけではないが、続くと期待してしまう。今日はどんな良いことがあるのかと。
 しかし、今日はそんなことが起こりそうにないし、また予定されているわけでもない。良いことが来るとすれば偶然だろう。
 だから、つまらない一日になりそうなので、もう期待しないし、良い日になるように仕掛けもしなかった。仕掛けるとはそういう状態になるように工夫すること。用意すること。
 そのため、特にこれということのない日になると覚悟を決めた。だから、望んではいないが、平凡でありふれて、大人しく、地味な日であっても、かまわない。
 これが普通であり、こういう日の方が本当は多いはず。最近、良いことが続きすぎた。それが普通だと思うようになると、少し怖い。
 今度は静まった状態の中で、何か良いことがポンと起こる、という感じにしたかったのだろう。
 良いことは希少価値。それが多くありすぎると有り難みがなくなる。そこも計算している。
 だが、本心としては、良い事が今日も起こり、楽しい日、生き生きとした日になることを期待している。
 だが、その望みはただの欲。そうそう良いことばかりがあるわけではない。逆にその反動で悪いことが起こる気もする。
 それで今日は静かで、落ち着いた日になるように心がけた。
 ただ、三村の心がけとは裏腹に、何が起こるのか分からないのがこの世の世界。あの世の世界では全てのシナリオが決まっているというわけではないが。
 また、三村はこの世にしかいないだろう。この世だからこそ三村が三村であるように見える。
 三村はいつも思うのだが、この世とは別のところで、何かが糸を手繰っているのではないか。サイコロを振っているのではないかと。
 それは特定の神や仏ではないようで、いわば汎神。
 平凡な神というわけではない。日本で言えば八百万の神々と言ってもいいだろう。全てのものに神が宿る。
 だからコントロールしているものが一つではない。特定できない。チリの一つにも神が宿るのだから。
 そういうものの働きかけで、良いことや悪いことが起こる。などとは三村も考えているわけではないが、そこは個人の勝手、そう思ってもいいのだ。ただし口外しない方がいい。
 それで今日は平凡な汎神、だから凡神の番。
 神に番があるのか、月番のように。当番制か。これも三村だけの世界なので、何でもあり。
 博打でも、ついているときがある。これは、そういうものが憑いているのだ。何処のどなた様かは知らねども、の神さんだ。
 たまには凡神に来てもらうのもいい。あまりご無沙汰すると、よくない。だが、殆どはこの凡神が居座る日が日常なのだが。
 どちらにしても、三村は刺激に飽きたのか、地味なものが好ましいと思う時期になったようだ。
 
   了


 


2022年2月27日

 

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