小説 川崎サイト

 

村の見識者


 経験したこと、実体験したこと。これがあまり記憶に残らず、もうなかったかのようになっていることが多い。
 印象に残るようなことがなかったのだろう。
 本を読んでいて、何処かで読んだことがあるような気がするが、初めて読むような印象。しかし、一度読んだ本なのだ。
 これも印象に残らなかったのか、よく理解しないまま字面だけを流していたのかもしれない。中味が分からないまま。
 六平は人よりも多くを経験している。色々と出歩いて見識を広めているため。当然、それらは役に立つはず。
 しかし、村から一歩も出たことのない老婆がおり、彼女の方が賢い。きめ細やかに日頃の出来事や、物事や、人とも接しているため。その小さな違い、細やかな差、などから何かを推し量っている。
 遠く離れた他国の黒須村の隣は秋葉台村だということを老婆は知らない。六平は知っている。
 しかし、別のお国の村の名など、まったく知らなかったりする。だから、物知りだといっても、限度がある。ただ黒須村まで実際に行き、その村境の川向こうが秋葉台村だというのは実際にこの目で確かめたこと。
 当然、そんなことが役立つような用事はなかった。
 たまに何かの寄り合いで、六平が知っていることが話題に出たとき、そこは得意げに話した。他の者が知らないことを、六平が知っている。これだけでも充分だろう。
 六平が先ほどの黒須村に滞在していたとき、円罫と呼ばれる若い僧侶と知り合いになり、意気投合し、親友になった。
 しかし、旅から戻ってくると、そこまでの縁で、円罫と会うことも、また便りもなかった。
 上島はそういった他国の知り合いが多くいて、円罫にまで、手が回らなかったのだろう。
 そこで得た知識というのがあり、それは占い。円罫という名も、そこから来ている。
 若い頃から他国を旅し、つい最近まで出歩いていた。遊んで暮らせる豪農の息子だったためだろう。そして暇なので、ウロウロしていた。それなりに知識もあり、村では物知りで知られているのだが、どうも、あの老婆が苦手。
 情報の量よりも質なのかもしれない。
 
   了

 


2022年3月1日

 

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