小説 川崎サイト

 

蝉屋道士


 蝉屋道士は言い過ぎた。それで反省している。いいことを言い過ぎたのだ。真理のバーゲンセールをやったようなもので、言い過ぎると、値打ちが下がる。しかも値段が安いので、いい言葉でも安っぽくなってしまう。
 蝉のような儚い人生。これも言い過ぎた。地上に出てきて鳴いている時は短いが、地下に長いこといるので、数週間の命ではない。もっと長い。
 蝉屋と名乗っているが、蝉を売る商売ではない。買わなくても夏になるといくらでもいる。蝉捕りよりも、自然に木から落ちてくるので、蝉拾いの方が楽。その頃は蝉など、もう見向きもしないだろう。
 蝉屋とは屋号。村外れの山際の小屋に住んでいる。そして、色々な相談事に乗る。そのとき、名言を百と吐く。もう蝉のように鳴いているのに近く、耳障りに感じる人もいるが、敢えてその音色を聞きに来る。
 評判は悪くない。村にも馴染んでいるし、村内を歩いていると、蝉屋さんとして、もう風景の一つ。
 過去のことは言わないが、寺に預けられ、そこで育った。小坊主時代は美男なので、もてはやされた。
 寺に来る旦那衆に人気があり、それがいやで、飛び出した。ただ、学問は出来る。門前の小僧ではなく、門内の小坊主なので。
 その後、色々と渡り歩いたのだが、何をしていたのかは謎。
 放浪に疲れる年になったとき、立ち寄った村で法話などを庄屋屋敷でやっていると、気に入られ、長く滞在。
 そろそろ、このへんでいいだろうと、この村で落ち着いた。何処でもよかったのだ。
 裏山に使っていない炭焼き小屋があり、これが結構大きいし、立派な小屋。実際、中で寝泊まりしていたこともあったらしい。
 蝉屋道士はそこに棲み着いた。炭屋道士でもよかったのだが、蝉の方が快く響くので、蝉屋と名乗った。
 蝉屋道士は人の道を説く。しかし、自身に対しては沈黙、また触れない。人のことよりも、自分のことは気にしないようにしている。
 しかし、最近は名言を吐きすぎて、自省。少しは己のことを鑑みる。
 だが、村人は景気のいい啖呵のようなお言葉を聞きたがる。それで鼓舞されるのだろう。だから蝉屋道士の蝉の音を聞きたがっているのだ。
 どちらにしても、村人の愚痴を聞く役目。村人はそれですっとする。名言はおまけのようなもの。
 ある日、旅の高僧が炭小屋住まいの蝉屋道士を訪ねてきた。このあたりで、既に有名になっており、近在からも来る人がいるほど。
 高僧は、かなりの年配。位も高そうで、供も多い。何処かへ行くところで、その道中だろう。
 狭いので、高僧だけを中にお入れした。
 そして向かい合った時、あっとなる。
 高僧は座りもせず、そのまま立ち去った。
 蝉屋道士がまだ青坊主だった頃、可愛がってくれた僧侶だった。
 
   了



2022年3月10日

 

小説 川崎サイト