小説 川崎サイト

 

探究心


 仕事を終え、外食を済ませ、部屋に戻った岸和田は、自分の時間を過ごしていた。決まってやることがあり、それを今夜もやっているのだが、どうもいけない。
 飽きてきたのか、それほど楽しくはない。それで、部屋の片付けをやり出したのだが、これは無機的。ただの整理なので。しかし、無機が有機に変わることもある。
 整理しているものは見慣れたもの。最近使ったものや、出しっぱなしのままのものとか、昨日使ったハサミなどもある。さらにその前に買ったハサミが埃を被り、隅っこに押しやられている。切れなかったためだろう。
 そういうものは無機的で、どうということはない。たとえば写真などが出てくると、記憶がぱった蘇る。その時代にワープする感じだろうか。
 ただ、何度かそのワープをやっていると、もうワープが効かなくなる。何度も思い出したことなので、繰り返しになり、感情はそれほど動かない。
 それで、整理や片付けも、あまり自分の時間を過ごすという感じではないので、もっと濃いことがやりたい。
 だが、それほどの時間はない。しかし二三時間は出来る。部屋でゴロンとなりながらテレビを見ているような時間だ。これも見たい番組が毎日あるわけではないので、他のことをしながら見ている。だから、感情はそれほど湧かない。
 ネットを見たり、ゲームをしたりとかもいいのだが、これが自分の時間かというと、他人の時間を覗いているようなもの。岸和田と関わってこない事柄。だが、それなりに感情は動くが、現実のものではない。しかし、そういう世界を見ているという現実はある。
 この時間帯、岸和田はくつろげればいいと考えている。別に有意義なことをしなくてもいい。
 めくるめく開かれ展開する世界、それを座したまま得られるわけがないのだが、知らない世界というのがまだまだあり、それを調べていくと、わくわく感がたまにする。どうなっているのかと、調べるのは、ただの好奇心。
 それも一通りやり終えると、もう先にある謎が減るため、大凡分かってしまい、好奇心も弱まる。
 寝るまでの間、好きなことをしていい時間が数時間。自由時間。
 岸和田は最近、ぼんやりと過ごしているときの方が多くなった。本気でやるのではなく、眺めている程度。
 何かもっと充実し、わくわくするようなものを見付けないといけない。それで、それが何であるのかを確かめるため、少し試してみる。
 楽しむためのものを探すのが楽しみになり、見付かっても、一寸試すだけで終わったりする。だから、探しているときの方が楽しめたりする。
 
   了


2022年3月13日

 

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