小説 川崎サイト

 

ライバルの幽霊


「山本、山本じゃないか」
 菅田はアパートの一室で深夜仕事をやっている。背中に視線を感じたので、そちらを見ると、ドアの前に山本が立っている。長く伸びた髪の毛と丸い眼鏡、そして古臭いブレザー。顔は真っ青。
 ドアは閉まっており、鍵もかかっている。しかし、既に三角の靴脱ぎにいるのだ。
 山本とは仕事仲間で、親しい方だ。しかし、ある日姿を消し、行方不明。
 山本は田中が気付いた瞬間、すっと消えた。まるで見られるのが恥ずかしいように。だが恥ずかしくても姿を見て貰いたかったのかもしれない。
 何か言いたかったのだろうが、声が出せないようだ。
 田中はそんな想像を一度だけやったことがある。本当に山本が出たわけではなく、最近は会っていないが、死んではいないだろう。まだその年ではないが、現実は分からない。
 急に付き合いをやめたわけではなく、仕事の考え方の違いから、徐々に疎遠になり、田中のアパートに来る頻度も減り、もう来なくなった。
 しかし、何故か先ほどの幽霊の田中を想像してしまう。
「山本、山本じゃない」で始まるシーン。
 たまに深夜、背後に気配を感じ、後ろを見ることがある。当然、山本など立っていない。想像が本当にあったことのように思えるわけではないが、想像したという現実がある。これは二年ほど前。
 それと同じことが起こるのではないかと、後ろのドアを振り返ることがある。そこに山本が立っているなど、有り得ないのだが、
 気配を感じるのも、アパートの廊下を、すっと猫でも通ったのだろう。夜中、結構音を立てている。
 その幽霊談は田中が作ったものだが、山本が登場し、すっと消えるだけのシーンしかない。それだけで充分だろう。
 見知らぬ幽霊ではなく、山本はよく知っている人物。だから、それが山本だからこそ、田中にとって意味が出る。
 その後、貧乏アパートから引っ越し、もうあの三角の靴脱ぎ場のあるアパートとは縁が切れたので、「山本、山本じゃないか」の場も消えた。
 しかし、今はマンションの薄暗い廊下の奥で、山本が立っているような気がする。
 どうしても山本を幽霊にしたいのかもしれない。
 
   了



2022年3月23日

 

小説 川崎サイト