小説 川崎サイト

 

田治見三人衆


 田治見三人衆。多治見地方の豪族が三家あり、それを指す。この三家は仲がよく、争い事はこれまでなかった。
 困ったことがあれば三人衆に相談せよと長く言われた。
 戦国大名が敵国を倒すため、田治見を味方に付けようとした。三人集を落とせば、田治見は寝返ってくれる。多治見地方を攻撃すれば話は早いのだが、それでは敵国が援軍を送ってくる。そこで決戦になる。
 その規模になるとまずいので、周囲を徐々に奪っていくことにしたようだ。
 このときも三人衆の纏まりがよく、三家とも寝返った。領土は安泰。悪くはない。ただし、今後は、その大名家に仕えることになるのだが、大名家が変わっただけで、大した違いはない。
 田治見三人衆が寝返ったことで、その他の周辺勢力も、次々と寝返り、敵は本拠地だけの兵力になり、簡単に落ちた。
 その田治見三人衆、三つの家は今も残っている。ただ、多治見地方での力はもうない。それで、三人衆のことなど、もう忘れられてしまう。
 ただ三人衆の家系は古く、平安末期からの家系図が残っている。土地の武力集団、土豪のようなもので、源氏や平家とは関係がない。小さな盆地だが、豊かな土地で自衛手段として武装していただけ。
 平安末期、本来の領主。これは都にいるのだが、それに代わり、独立したようなもの。
 多治見地方は三つに分かれており、それを一つに統一することはなく、三家が仲良くしていた。外敵に狙われるとしても一家だけでは危ないし、そこが落ちれば田治見全土が落ちる。
 だから、三家の結束は固い。そうでないと、一家だけでは頼りないため。
 今は何の力も残っていない旧家だが、多治見全域での秋祭りなどでは、この三人が現れる。田治見の代表として。
 今も、お寺も神社も田治見三人衆ゆかりのもので、地縁血縁は強いのだが、多治見方面を牛耳るような力はない。
 この三家は、ずっと続いているのだが、跡取りが出来ないことが何度もあり、かなり遠い数代前の兄弟の子の子孫とかが、養子に入っている。かろうじて血は繋がっている。
 そして、この田治見三人衆、今でも仲がいい。
 ただ、田治見三人衆が本当に活躍していた時代でも、大したことはやっていない。だから武勇伝もないし、戦もなかったので、語り継がれるような伝説も残っていない。
 田治見地方を守るだけで、一杯一杯だったようだ。
 
   了

 


2022年4月5日

 

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