小説 川崎サイト

 

あなた

川崎ゆきお



「最近怖い話はありますか?」
「またかい」
 恐怖研究家が答える。
「またかとは?」
「よく聞きに来る人間がいる。怖い話はないかと」
「やはり専門家に聞くのが早いと思いまして」
「専門家?」
「あなたです」
「君にあなたと呼ばれる筋合いはない」
「あなたは研究家なのでしょ?」
「どうして、あなたなんだ」
「はあ?」
「聞きに来たんだろ」
「はい」
「じゃ、あなたはないだろ」
「そうなんですか?」
「君は上司に、あなたと呼ぶか」
「呼びません」
「学校の先生をあなたと呼ぶか」
「呼びません」
「先生は生徒のことをあなたと呼ぶかもしれんが、その反対はない」
「そうでしたか」
「店員が客をあなたと呼ぶか」
「呼びません」
「君は聞きに来たんだろ。専門家のわしのところへ」
「では先生」
「本気で先生と言ってるのか」
「はい」
「恐怖研究家などありえんと思っておるだろ」
「いいえ」
「何の権威もなく、変人が勝手に名乗っておると思っておるだろ」
「そんなことはありません。業界では有名です」
「そんな業界などないわい」
「えっ?」
「恐怖業界があるのかね」
「それに近いものはあります」
「ゲテモノ業界だろ」
「そうじゃありません」
「君はわしのことをあなたと呼んだ。それで君の胸の内が見えたんだよ」
「透視術ですか」
「軽く言うねえ」
「失礼があったことをおわびします」
「わびても君の性根は同じじゃろ」
「襟を正します。先生、最近怖い話はありませんか」
「ない」
 
   了


2007年10月20日

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