小説 川崎サイト

 

島田の屁理屈


 調子の良いときほどほど怪我をする。無理が利くので、無理をする。前向きなので、冒険に出る。だから、リスクが高い。そのため、逆に調子の良いときほど調子が悪くなる。
 島田はそんな勝手な理屈をこねて、調子の良いときでもサボりがち。むしろ用心して、より慎重になる。
 要は、それをサボるということだが、苦しくてサボるのではなく、サボる楽しさがある。余裕だ。
 それで、本当にやらないといけないときは、調子の悪いときを選んでいる。かなりしんどいことをするので、下手をすると、苦しいことになる。
 しかし、最初から苦しいので、それで誤魔化せる。辛いときは辛いことをする。辛さ慣れをしているので、失敗したときでも辛さを軽減できる。
 調子が良かったのに、調子が悪くなるよりも、いい。
 こういう勝手な理屈だが、島田にはそれが合っているのだろう。これで、うまくやってきた。嫌なことは纏めてやるようなものだ。
 そして調子の良いときはのんびりと過ごしている。調子が良いのだから、色々なことができそうなものだが、しない。
 ある日、島田は旧友を訪ねた。滅多に会わないし、普段からの付き合いもないのだが、たまに会いに行く。薄いが、その関係は続いているといっていいだろう。
「島田君、久しぶりだね。きっと調子が良いんだろうねえ」
「分かるか」
「ああ、調子の良いときにしか、君、来ないから」
「そうだったかなあ」
「ここに来ても益することなど何もない。それに僕は君に対して役立つ人間ではない。持ち駒じゃないはず」
「相変わらず、妙な言い方だね。文章を読んでいるような。まるで翻訳」
「ああ、昔の西洋人の思想書を古本屋で文庫本になっているのだけを探して、買ってきて読んでいるからね。そういうことが好きな人間なんだ、僕は。だから意味のないことをやっている人間だよ。役に立たないことをやる人間。だから、君が欲しがっている人脈とは違うはず」
「別に欲しがっていないよ。それに益する話はいらないんだ。どうでもいいようなことをしている人と接している方がいい」
「じゃ、島田君は調子が良いんだね。いつものパターンだ」
「バレていたかな」
「島田君、来てくれただけでも満足さ。友達が一人もいないからね」
 そのあと、いつもの雑談で実りのない会話を終え、島田は帰り道、散りゆく桜を見ていた。
 これは調子の良いときに見るべきか、調子の悪いときに見るべきかと。
 しかし、その日は調子が良かったので、その状態のまま見ていた。別に散る桜を見るつもりはなかったが、通り道なので、仕方がない。
 調子の良いときに見る桜吹雪。これは何かが終わり、何かが始まる感じがした。やはり調子が良いと、いいふうに見てしまう。いけないいけないと呟きながら、高まるテンションを抑えた。
 
   了


2022年4月11日

 

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