小説 川崎サイト

 

西瓜の種


 ある事柄が変化したので、田村はついて行けなくなった。これまで通りで良いし、変える必要はないのだが変わってしまったのでは仕方がない。
 田村が止められるわけではないので、どうしようもない。
 このままではいけないと思い、変えたのだろうが、中身は同じだ。それなら田村もついて行けるのだが、以前と違い落ち着かない。
 今回の変化も、慣れればいいのだが、別に必要なことではなく、最近、飽きていた。だから、これがいい機会なので、もう付いて行かないことにした。
 そういうことは他にもある。最初はよかったが、徐々に嫌になってきたものでも付いて行ったのだが、あるきっかけでやめてしまうことがある。これはやめるタイミングを待っていたわけではない。しかし、付いて行くだけの価値は消えているのは気付いていた。
 ある事柄が変化する。これで振り落ちたりすることもあるだろう。逆に、新たな人に付いて行きやすくなったりする。
 田村は、自分はどうだろうかと省みた。田村もそれなりに変化しているので、同じことが起こっているかもしれない。
 別に変えようとして変えたわけではなく、いつの間にかそうなっていることも多い。何処かで切り替えたわけではなく、そんな決心もしていない。
 しかし、気付かないうちに人は変わる。しかし、あまり変わらないものもある。奥へすっこんでしまったが、根のようなものが残っており、これが相変わらず影響している。雀百までの世界だ。
 いくつになっても子供の頃の踊り方は変わっていなかったりする。
 また、笑うと、その笑顔は子供の頃とそっくりな場合もある。これは親が見なければ、分からないだろう。笑うと童顔だった頃の表情が出るのかもしれない。
 尤も年寄り顔の子供もいるが、やはり幼さはある。その幼さに、その人の本質があるのかもしれない。
 田村は無理に自分を変えようとはしないタイプだが、変えないと不都合が起こるときは、仕方なく変える。それは芝居であり、演技。
 しかし、長くそれを続けていると本芸になり、やがて芸ではなくなる。
 もう身についてしまうためだろう。しかし、それが必要ではなくなると、消えてしまったりする。使わないと忘れる。
 物事も変化する。人も変化する。何処にも留まっていない。
 そして本質など、西瓜の種ほどの小さなものかもしれない。だが、種なので、手品のタネとはちと違う。
 
   了
 



2022年4月13日

 

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