小説 川崎サイト

 

山の神の箱


 桜が散ったあと、さらに暖かくなり、もう暑いといってもいいほど。
 こんなに暖かい日が今まであっただろうかと宮田は考えたのだが、そういうことは覚えていない。春から初夏にかけてはそんなもので、その月日までは覚えていないが、その範囲内だろう。
 なかには真夏のような暑い日が数日あったように記憶している。早い目に夏が来たように。しかしそんな日はすぐに引っ込む。
 まだ四月半ば、平年並の気温にすぐに戻るだろう。
 田宮は散歩中、そういうことを考えていたのだが、そこは里山の外れ、もう歩いている人はいない。
 そんなところまで来る人など希。昔なら山仕事の人が通っていたかもしれないが。
 その先は里山らしさがなくなり、普通の山間が続いている。道が急に狭くなり、草が足に触れるのが分かる。
 飛び出た枝が踏切のように遮ったりするが、細いので、払いのけることが出来る。既に若葉で枝も葉も柔らかそうだ。
 その先に里山らしいものが一つだけ残っている。何かの社。山の神様が山から降りて来て、一旦そこで滞在するらしい。昔からあった農村時代の面影。
 しかし、稲作以前にはそんなものはなく、神様も山から降りてこなかったかもしれない。人が呼んだのだ。
 結局は無事に稲が育つことを願うためのものだったと、旧村時代の人から田宮は聞いている。
 社の中には人が入れる。もうその前に花などはないし供物もない。下の里は町になってしまい、作物などは育てていない。
 田んぼも畑もない。家庭菜園の畑はあるが、その規模では神様も降りてこないだろう。それに、家庭菜園の作物が不作でも、深刻な問題にはならないだろう。趣味の園芸レベル。
 だから、人も神様の助けなど必要ではないので、山の神様に降りてきて貰う必要もない。
 田宮は社の扉を開ける。簡単に開く。中には何もない。既に片付けてしまったのだろう。だから、ただの箱。
 神様が入る場所なので、人が入り、そこで座ったり、寝転んだりしてはいけないのだが、その仕掛けは既になくなっている。
 社は板床だが、座れないほど埃などが浮いている。しかし、その箱に入った瞬間、妙な気持ちになったのは、神様の御旅所のようなものだったことを知っているため。
 社という箱の中には種も仕掛けもない。ただ、床下に石組みがあるかもしれない。これは依り代のようなもので、上物の社よりも大事だったはず。
 散歩中の田宮は床下を調べるような気はない。しかし、木陰で休憩するよりも、この箱の中にいる方が涼しい。風通しが悪いのだが、不思議だ。
 散歩は、そこまでで、それ以上、山中に入り込むと、散歩ではなくなるので、社から出た。
 そのとき、何か自分が神様になったような気がした。神様のお出ましだ。
 これを毎回して、町へと戻る。
 変わった日課だというべきだろう。
 
   了

 


2022年4月15日

 

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