小説 川崎サイト

 

ミカンとピアノ


 大きな道路が見えてきた。島田は、その道を渡らないで右折する。島田の自転車は歩道を走っている、少し下り坂で、ブレーキをかけないと早すぎる。前方の大きな道路の歩道と交差するため。
 それでブレーを軽く引いたとき、前方の信号が青に変わった。渡らないのだから、関係はない。
 しかし、島田は関係した。右折しないで直進したのである。いつもの散歩コースではない。
 ここは曲がるところで、そのまま戻ることになっているが、たまに直進し、道路を渡ることもある。そのたまたまが今日なのか、今なのか、それは分からない。何となくではないものの、渡ってしまった。
 それは毎日通る散歩コースから抜け出せないことを気にしていたため。レールの上を走るような散歩。これでは散歩の意味の半分ほどしか果たしていない。もっと色々なところを通るのが散歩のはず。
 島田は道路を渡るとき、後悔はしなかったが、帰りが遅くなることは気にしていた。やはりいつもの時間に戻りたいので。
 これも日々決まった時間割が出来上がっているようで、昨日と同じ時間、昨日と同じことを今日もやっている方が安心感がある。その中でのちょっとした変化は歓迎だが、大きな変化は望んでいない。
 だが、たまには望む。それが今日。今だ。
 道路を渡っているとき、すっとした。ずっと気になっていた寄り道が加わるため。それをまさに実行中なのだ。その大きな道路を渡ることが。
 その道路の向こう側へは何度も行ったことがあるので、珍しい場所ではない。何があるのかも分かっている。だから、行っても大したことがないので、敢えて行かなかったのかもしれない。
 道路を渡ると、パン屋がある。雑貨屋だ。メーカー物のパン屋の看板が大きく出ている。この季節のものなのか、大きなミカンが店頭の台に並んでいる。そのミカン、実は島田は毎日見ていたのだ。道路の向こう側から。
 それが今日は目の前で見ている。ミカンの種類が分かった。大きなミカンなので夏みかんだと思っていたが、海外産の聞いたことのない名のミカンだった。ただ、それをミカンと呼べるのかどうかは知らない。
 そのまま直進すると川にぶつかる。その手前の最初の角で左折する。寄り奥へと進むことになる。右折だと、戻りの道と、その先で交差するだろう。
 だから、奥へ分け入るのだが、それなりに知った場所。まだ農家が残っている町に出る。それだけでも見ものなのだが、よく行っていたところなので、もう見飽きている。だから、驚きはない。
 ちょっと以前のことをおさらいするような散歩だ。最後に行ったのは数ヶ月前、ひと季節半ほど以前。だから殆ど覚えており、それほど変化はない。
 これは分かっていることなので、だから新鮮さや驚きや新たなものに触れるということがないので、行かなかっただろう。
 そして旧村時代の大きな農家が集まっている中心部に入ると、より大きな家があった。これは保存指定になっているようで、昔のまま残っている。
 その表門の前に、ピアノ教室のパンフレットが置いてあった。
 これは知らなかった。しかし、アメリカ大陸を発見したわけではないので、それに比べると小さい。小さすぎる。
 この久しぶりの道路を渡ったところにある町での収穫は、ピアノ教室。
 島田にはまったく興味がなく、関係もない話だが、史跡指定されている屋敷の門に、ピアノは似合わないのではないかと思われたが、生徒になれば、この屋敷内に入れるだろう、と、そういうことを思った。
 旧村時代の農家の間取りをそのまま残している。どんな部屋にピアノがあり、教室となっているのだろう。
 と、その程度の想像を楽しむ程度の、散歩だった。
 
   了




2022年6月6日

 

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