小説 川崎サイト

 

汎怪論


「日常生活、日々の暮らしの中で妖怪を探しているのですが」
 暑苦しい頃に、暑苦しいことを話に来る人がいる。妖怪博士はちょうど昼寝から起きたときなので、間がよかったのだろう。しかし、この間、間抜けな間で、ついつい話に乗ってしまった。ただし玄関先。何かのセールスかと思ったのだが、そうではない。では何が間抜けなのか。
 この間抜け、ではなく、この訪問者が言うところの妖怪のいる場所が、先ず間としては難しい間。
 もしそれが本当なら、日々の暮らしの中で始終妖怪が出ていることになる。
 ただ、この人は、まだ発見したことはないらしい。それが救いだ。流石にそこまで嘘偽りを語りに来ないだろう。そういう話で盛り上がりたいだけかもしれない。
 しかし、座敷に上げるわけにはいかないので、玄関先での対応。この人が何者なのかが分からないので、下手なことは出来ない。まさか泥棒ではあるまいが、それよりも下手に粘られると災難。
「日常の中に潜む妖怪。如何でしょうか」
 と聞かれても、寝起きのうえ、暑いので妖怪博士はぼんやりとしたまま。即答出来ない。言っていることよりも、この人は何者なのかが気になる。
「妖怪はどうだかは分かりませんが、便所には便所の神様。厠神。台所には、それなりの神様がいるでしょう。しかし、妖怪は聞いたことがありませんなあ」
「包丁を使っているとき、包丁の妖怪が包丁の横にいてじっと見ているような」
「どんな姿ですかな」
「包丁のような」
「ほう」
「蒲団には蒲団の妖怪が中にいて、綿のような妖怪で、平べったいのです。塗り壁のように」
「寝ている、倒れている壁ですな」
「はい、そうです。歩いているときにも、履き物に寄り添うように妖怪が」
 妖怪博士は、この人は無理にそんなことを言っているのか、それとも真剣に言っているのかを探ろうとしたが、分からない。
 ごく自然に語っている。しかし、これを他の人に同じことを言えば、ただのおかしな人になるだろう。
「日常の中に潜む妖怪。それはいいのですがね。そうなるときりがない。際限なさで息が詰まる。妖怪だらけでしょ。それじゃ珍しくも何ともない。妖怪の日常化ですな。だから、敢えて妖怪だと言わなくてよかったりする。いちいち妖怪だ妖怪だと言い出せばきりがない。そういうことです」
「いや、わしも本当に見たわけではないのです。もしそうだとすれば、というお話がしたくて」
 妖怪博士はその手の受け皿になっているので、仕事と思えばいい。それに悪いアイデアではない。家の中にあるもの、器物など全て化ける可能性はあるし、お櫃の妖怪やシャモジの妖怪。関節もないのに歩き出す箸とか。二本はどうやって繋がっているのだろうか。
 座布団も妖怪化すると、妖怪の上に座っていることになる。
「汎神論をご存じですか、博士」
「全てものに神が宿っているというやつですな」
「その神を妖怪と置き換えれば、汎怪論となります」
「妖は、何処へ行きましたかな」
「汎妖怪論では語呂が悪いので」
「はい、分かりました」
「これだけを言いに来たのです。では失礼します」
 その人は、すっと掻き消えるように帰ってしまった。
 妖怪博士はまだ頭がぼんやりとしている。昼寝後、一時間ほどはいつもそうだ。
 だから、夢を見ていたのかもしれないが、奥の六畳へいって見ると、昼寝布団はそのまま敷かれてある。
 そしてふっくらとした膨らみがある。
 まさかと思い、その掛け布団を取ると、中は敷き布団が見えているだけ。起きたとき、掛け布団に膨らみが出来たのだろう。
 日常の中にいる妖怪。満更悪い話ではない。
 
   了

 




2022年7月10日

 

小説 川崎サイト