小説 川崎サイト

 

年中行事


 下沢はいつの間にか夏至も七夕も過ぎていることを知った。
 昔のカレンダー、暦などには書かれていたのだが、そんな紙ものは買っていない。
 何処かで貰ったカレンダーはあるが、去年のがそのまま貼ってある。ここにも当然、そんな季節の行事のようなものなどは書かれていない。
 七夕の日は覚えている。覚えやすいからだ。七月七日。それを過ぎてしまったのだが、七夕らしきものは街中にはない。夏至もそうだが。
 ではなぜ、七夕に気付いたのだろう。これはあとになって分かったのだが、散歩で通る小道沿いに竹や笹が少しだけ植わっている。
 それが切り倒されたまま放置されていたり、細い目の幹が転がっている。
 ここはよく通る道なので、変化があるとすぐに分かる。笹が荒らされているような感じだった。
 それを思い出し、もしかすると七夕用に切ったものの残り笹かもしれないと気付いた。それで七夕の日も思いだし、既に過ぎていることを知った。
 だが、知っていても、何かをするわけではない。笹に願いことを書いた紙などを吊したりすることは知っていたが、幼稚園でやったかもしれないが、記憶にない。
 ファストフード店で七夕の飾り付けを見たことがある。毎年やっているもので、そういうセットものがあるのだろう。しかし、その店へ行かなくなったので、七夕と接する機会も消えた。
 夏至などもそうだ。古代人ならともかく、夏至に関するイベントなど日常の中で見ることはないだろう。
 何かの農作業の行事が夏至におこなわれていたかもしれないが、夏至の行事だとは気付かないだろう。
 夏至祭り。そんなものが身近にあれば、気付くのだが。
 しかし、一年で一番、日が長い日。これは気付きやすいはずだが、徐々に日が長くなるだけで、今度は徐々に日が短くなっているだけなので、変化が分かりにくい。一気にふた月ほど飛べば分かるが。
 夏至も七夕も空が関係している。夏至は太陽系規模。七夕は銀河規模、宇宙規模だ。
 下沢にとり、それは遠すぎるので、身近ではないというわけではない。太陽も見えているし、星も見えている。
 むしろ身近な存在だろう。遠いが見えている。
 次の行事はお盆。これは目立つ。盆休みとかがあるため。これは知らない間に通過した、ということにはならないはず。
 お盆。それは下沢にとり、底深い響きがする。夏場、古井戸の底を覗くような。
 
   了

  





2022年7月13日

 

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