小説 川崎サイト

 

落下



 期待は出来ないと思っていたが、まずまずのどころではなく、それ以下だった場合、失敗したことになる。
 後退のしすぎで、初期の状態に近い。最初はそんな感じでも、何とかなったのは、その先への期待があったため。
 そして、徐々に期待通りの階段を上がり、ついには期待以上のところにまで来ていた。そこからの落下。振り出しに戻ったわけではないが、期待分、そう見えてしまう。
 そして、そのものはそこで終わった。次がない。だから最後は元に戻って、終わったのだろう。
 しかし、その後がまだあるかもしれないが、おそらくそれで消えていく可能性の方が高い。
 なぜなら今までの上向きから最後は下降したのだ。引いたのだ。これは初めてのことで、今まで、そんなことはなかった。常に右肩上がり。いつもそうなので、それを期待する。そして期待通りになる。
 植田は、そんなことを考えていたのだが、これは趣味の話だが、実生活上の同僚や友人にも当てはまるような気がする。だが、それは逆かもしれない。リアルな出来事が先で、先ほどの期待の話は、それに当てはめただけかもしれない。
 パターンを読む。しかし、それが外れるパターンもある。だから読み切れるものではない。特に曖昧なものでは。
 しかし、植田がこれまで体験した人間関係とか、その他、色々なことでも、そのものが原因ではなく、何かの影響で変わってしまったこともある。
 そうとは知らないで、パターンが崩れたと思う。これは誤解だろう。
 何事も実際の理由とか、原因とかは分からない。見えているのは振る舞い方だけ。その奥までは窺い知れない。
 それを知ったとき、納得出来るのだが、隠されたまま、または見えないままだと、何かよく分からない振る舞い方に見えてしまう。
 しかし、パターンが崩れたと見るのは、植田の考え方で、そんなパターンなど、そもそもないのかもしれない。植田がそう解釈したいだけ。
 植田の勝手な思い込み。それは植田自身も薄々感じているのだが、パターン化した方が纏まりがいいし、整理しやすい。だから、ただの方便。ある程度、基準がいるのだ。
 植田の考え方、それは一種の世界だ。他の人にも当てはまるかもしれないが、解釈が違う。だから、パターン認識も微妙に違う。価値も違ってくるだろう。好みもあるので、客観性はない。
 さて、その期待外れの件だが、実はそうなってもいいと、何処かで思っていたのかもしれない。
 それは新たなものが表れ、そちらを注目し始めたためだろう。
 
   了




2022年7月19日

 

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