小説 川崎サイト

 

腹巻き道の茶店



 吉野峰の山腹に、その腹に沿ったところに小さな村がある。まるで胴巻き、腹巻きのように長い。
 家は点在しており、一箇所にはない。腹巻きの幅が狭いためだろう。その腹に沿って走る道は村道ではなく、街道。村で行き止まりになるのではなく、その先がまだあり、他国へ出る。
 他国へ出る道は色々とあるのだが、この道が一番狭く、また辺鄙なところを通っている。
 その腹巻き道の中程に茶店があるが、ただの農家。軒先が長く伸び、縁台があるため、雨宿りになどには重宝な場所。
 実際には農家なので、茶店を商売にしている家ではないが、人が来ると、白湯や水を出す。たまにお茶も出すが、これは偉いさんや余所者が来たときだろう。つまり滅多に通らないが、旅人がいるのだ。それが茶店と間違えて立ち寄る。
 接客するのは、老夫婦。既に田んぼにも山仕事にも出ていない。高齢のためだ。
「吉野峰の茶店とはここか」
 一人の侍が客として縁台に座り、奥の老人に聞く。
「茶店ではございませんが、お茶ぐらいはお出し出来ます」
「そうか、では一服頼む」
「かしこまりました」
 といっても薬缶に入れてある麦茶を温めるだけ。
「ここにいると、他国へ出る者が分かるだろ。こういう人相の人は通らなかったかな」
 他国との境界線。それは吉野峰がそうなのだが、そこに関所があるわけではない。山を下ったところの里近くに番所があるが、何かない限り、無人。
「さあ、ずっと見ているわけではございませんので」
 店ではないので、店番もしていない。奥で別の用事をしていることが多い。
「では、この人相の者を見かけた場合、知らせて欲しい」
「だ、誰に。それよりも何処に」
「加納村の番所。役人は詰めておらぬ。番所守をしておる百姓の正造が近くに住んでおるので、その正造に伝えてくれ」
「ああ、正造さんならよく知っております。そうですか番所守になりましたか」
「では、頼んだぞ」
「あのう」
「何か」
「この人、何をしたのでしょうか。御武家様ですよね」
「領内を出たかどうかを知りたいだけ」
「ああ、はい」
「頼んだぞ」
「あのう、もし見かけたら、村の者を集めて捕らえますか」
「それには及ばん。無事に領外へ出られたかどうかを確認したいだけ」
「余計なことをお聞きしました。はい、そのように取り計らいます。見かけたら正造さん、ですね」
「頼むぞ」
「はい、かしこまりました」
「しかし、この茶、何の茶じゃ」
「麦茶で」
「うむ」
 
   了

 





2022年7月30日

 

小説 川崎サイト