小説 川崎サイト

 

秋空


 盆が過ぎ、雨が降り、そのあと夏の雲ではなく秋の雲に変わり、あれほど過ごしにくかった蒸し暑さからも解放された。そして今日はカラッと晴れ、青空も濃く、まさに秋の空。
 竹内はそれを見るゆとりがあるのだが、暇なのだ。忙しい人でもその空は見ているが、それほどの感慨はないかもしれない。雨ではなく晴れているので、いい程度。
 あとはその忙しいことの方に頭は行く。色々と段取りがあるので、それを見直したり、確認したりと、そういうことでも忙しい。ただ、ここは路上。そこで何かをやるわけではない。足は動いているが手は空いているし、何を考えても自由だ。ただ、秋の空になっている事へは行かない。
 竹内はその余裕がある。だが、これはやはり暇なため。そんな竹内でも忙しかった頃は空などいちいち見ていないが、遊びに行った夏の山で見た夏空だけはよく覚えている。
 これは何かと結びついているのだろうが、それほど忙しくなかったのかもしれない。だから仲間達と一緒に山歩きをした。本格的なハイキングではなく、里山歩きに近かったが。
 そのときの仲間達がよかったのだろう。そして喋り散らしながら谷川を歩いていたのだが、その暗い繁みの真上の空が忘れられない。
 そのときは気付かなかったのだが、あれっと思うような青さだった。そして白い雲。これは秋の空ではなく、夏の空。白い雲は入道雲で、にょきにょきと伸びている。力強さを感じた。
 今も、そういう雲は見る。この前まで、その雲が出ていたのだが、川底から見たあの夏空とは何かが違う。
 やはり、当時の思いとか、当時の境遇でしか出てこない見え方だったのだろう。
 今は秋空を見ている。これは絵として見ているだけで、何かと結びつきのある意味合いやイメージはない。
 それでも忙しいときはそんなものをじっくりとは見なかったので、今は以前とは違う。見え方も少しは変わっている。
 そのものは昔から変わらないはず。夏空も秋空も。大凡のところは同じようなものだろう。しかし、年を増すことで、見え方や見方が変わってくるのだろう。
 竹内はそんな気で見ているわけではなく、そういう見え方や見方に自然となっていることに気付く。
 見方の作為などしなくても。
 
   了






2022年8月22日

 

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