小説 川崎サイト

 

人形の魂抜き


「ここでは分かりませんが、それなら葦原の喜平さんなら知っておるかもしれません」
 友村家に仕える若侍は、すぐに芦原へと向かった。近くにある町なので、事はそれで済むと思った。
 友村家は三千石を領している。久留葉藩の家老だ。
 若い侍は友村家の用人の息子。執事に近い。友村家だけに仕えている。
 だから家老の友村の殿さんが主。主君といってもいい。友村家は久留葉藩主の家来。だから藩主の殿さんから見れば、またもの。直接の家来ではない。従ってその関係も希薄。
 その若侍、芦原に着き、喜平を訪ねたが、用が足せない。知らないという。ただ、鏡が谷の老婆なら、こういうことには明るいので、知っているだろうと、教えてくれた。
 鏡が谷はすぐそこにある山の渓谷、切れ目を流れる川沿いにポツンとある村。
 婆やがぼけたのか、忘れたのだ。この婆や、友村家の姫付き。姫はまだ幼い。
 人形をいくつか持っており、その中で気に入った人形に魂を入れて貰った。しかし、新しく手に入れた人形が気に入り、そちらに魂を入れて欲しくなった。
 そうなると、前の人形の魂抜きをしないといけない。その呪文というか、お経というか、祝詞というか、それを婆やが忘れてしまったのだ。
 婆やはそんな空気入れのようなことをしていたのだが、年をとりすぎ、物忘れがひどくなった。それで、魂抜き、霊抜きともいうが、その呪文めいたものを知っている葦原の喜平に聞いてくるように、用人の息子に頼んだ。それが経緯だ。
 しかし、喜平は知らないというのだから、知っている人を探すしかない。それが鏡が谷の老婆。そういったややこしいことに詳しい。
 姫が気に入った人形に魂を入れる魂入れの呪文も、婆やは忘れたので、それもついでに聞けば、用は足せる。
 鏡が谷の老婆は立派な屋敷に住んでいた。余程実入りがいいのだろう。それだけ需要がある。
 しかし、寝込んでいるようで、布団の中。年をとりすぎたようで、もう先は短いと言われているが、これは老婆の芝居。本当はかなり若い。
 下女に通されたその寝間。既に枕元に先客がおり、何処かで見た顔。
 友村家が仕える藩主の家来だ。同い年なので、よく覚えている。
 話を聞くと、似たようなことをこの若侍もやっていた。藩主の孫娘も同じように、魂抜きをしたいらしい。
 先ほどから、その交渉をしていたのだが、老婆は承知したようだ。だから二人揃って、その呪文めいたものを二つ書き写した。
 これで、用人の息子は用を足せたのでほっとした。
 藩主の家来も満足そうだった。しかし、姫の人形の魂抜きが重なるのを不思議がった。
 二人が帰ったあと、下女が蒲団を上げに来た。人が来ると蒲団を敷くようだ。
 老婆が唱えた二つの呪文のようなもの。無茶苦茶なものだったらしい。下女はそれを思い出すと笑いが止まらない。
 さて、用人の息子が書き留めた呪文。婆やに見せたのだが、頭を振りかけそうになったが、横ではなく縦に振ることにした。これだったと。
 しかし、かなり違っているようで、ぼけていても、その違いは分かるようだ。
 それで、違うというと、面倒臭いことになるので、その呪文で魂抜きと魂入れをした。
 その後、姫や人形に異変はない。
 
   了


 
 


2022年9月3日

 

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