小説 川崎サイト

 

神明たぬき坂


 妖怪博士は乗換駅で改札を抜けた。それでは乗り換えにならない。ホームが違うだけで、駅を出ることはない。
 タバコが吸いたかったのだろう。担当編集者も同じだが、我慢は出来る。
 駅前も路上喫煙禁止となっているが、人がいないところならいいだろうと、駅裏の狭苦しい商店街を通っていると、喫茶店がある。ここならいいだろうと、ドアを確認。喫煙可と書かれたスタッカーが貼ってある。
「ここから先がまだありますよ。こんなところで休憩していると、暗くなりますよ」
 といいながらも、調査は適当でいいと思っている。どうせ嘘。たぬき坂でたぬきに化かされるという投稿が来ているのだが、乗り気がしない。新味がない。古典を踏むような感じで、こういうことがあった程度の数行で終わるようなことだろう。それ以上の展開がない。
「まあ、そう言わない。一寸した散歩だと思えばいい。最近外に出ておらんので、いい散歩になる」
「でも僕は」
「サボれるじゃないか」
「じゃ、何かあることを期待しています。取材した甲斐があるような」
「それは現場を踏んでみなければ分からんよ」
「たぬきに化かされるとだけ書かれていて、どんな化かし方をするのかまでは書かれていません」
「化かされたように感じただけじゃろう。呑気な話でいい」
「きつねに比べ、たぬきはゆるいですねえ」
 喫茶店を出るとき、奥にたぬきがいる。たぬきを意識しているときはたぬき顔が目に入るのだ。たぬきだと思うと、どう見てもたぬき顔。錯覚というかそういうフィルターが掛かる。
 日本髪を結ったたぬきの置物がある。それに近い。そのたぬき顔はレジの奥にいた。お婆さんで、店の人だろう。じっと座っているだけで、手伝ったりしないようだ。でっぷりと太り、髪の毛のボリュームがありすぎるほど。
 二人は駅に戻り、ローカル線に乗り換えた。喫茶店でサボっていたので、発車ギリギリだが、ホームでじっと待つよりもいいだろう。
 ローカル線が山に近付いたところに神明町がある。終点ではない。
 神明町は今風な農村で、ビニールハウスとかが多い。駅前にコンビニや酒屋がある程度で、農家よりも普通の住宅の方が多い。通勤圏内ギリギリだろうか。
 山へ向かうほど、昔の農村時代に戻されるのか、秋の花が畦道や田んぼの土手などで咲いている。
 祠もあり、地蔵の立像が見えている。だから背の高い祠。ただ、板が一枚剥がれているが。
「雰囲気が出てきましたねえ博士」
「よくある風景だ。しかし、こういうのも減りつつあるのかもしれんなあ」
「そうですね。山が迫ってきました。坂道が見えます。分かりやすいロケーションですねえ。あれがきっとたぬき坂でしょ」
 山というよりもその手前の丘のようなもの。所謂里山。
 そして二人は簡単に坂を登りきった。そこは雑木林で、その先は本格的な山。
「化かされませんでしたねえ」
「そうじゃな」
「何か、調べますか」
「ただの坂、しかも短いので楽。雑木林だけで何もない」
「あれは何でしょう」
 編集者が指差す。
「椎茸でも栽培する木組みだろう」
「何か呪術めいたものに見えました」
「木を組んで焚くやつだろう。井の字に」
「じゃ、怪しげなものもないし、騙されるようなこともなかったので、これはやはりスカですねえ」
「昔、そんなことがあったのかもしれん」
「町の人に聞いてみますか」
「そうじゃな」
 古そうな農家があるので、そこで聞いてみたのだが、あの坂には名などなく、たぬき坂などとは誰も呼ばないとか。
 二人は農家を出た。
「想像通りですねえ」
「まあ、騙されるつもりで、来たのだから、期待通りじゃないか」
「そうですねえ」
「つまり、ここへ来る前に騙されていたんだよ」
「それは最初から分かっていたのですがね。だから乗り気がしなかったのですよ」
「人を騙すたぬきはたぬき坂にはおらん。違うところにおるんだろう。この投稿者のようにな」
「あ、はい」
 しかし、何事もなかったので、逆にのんびりと出来たようで、もし何か本物のたぬきに化かされるようなことでも起これば、大変だったろう。それを期待しながら、ないことも期待していたようだ。
 駅に戻り、ローカル線で引き返すとき、ススキが夕日を浴び、白い穂が朱色に変わっていた。
 妖怪博士はそれを見たあと、居眠り始めた。
 そして夢は見なかったようだ。
 
   了


 


2022年9月8日

 

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