小説 川崎サイト

 

島村界道


 島村街道は一本ではなく、二本に別れ、また合流する。分かれてからの距離はそれほどない。一方が遠回りになることもある。二本も必要ではないのだが、川の水が増えたとき、土手沿いの道が危なくなる。それでもう一本、内側にも道が出来ている。一度氾濫したのだろう。
 島村街道はその土手道以外にも、渓谷沿いに入ったときにも別れる。しかし並行しているので、別のところへ行ってしまうわけではない。
 先ほどの土手沿いの道を島村「界道」と呼んでいる。境目の道、海道ではないが、足で歩く道ではない。舟なので。まあ、船足と言って、舟にも足はあるが。
 二本の内の一本。その土手沿いの島村界道を行く人は少ない。内側の道は今では本街道。こちらの方が広いし、松並木。
 界道の方は、川風が強く、濡れることもある。しかし、距離的にはこちらの方が早いだろう。だが、道が悪い。もうあまり通られていないためだろう。獣道ではないが、人が道を踏み固めるようなもの。
 という地理的な話ではなく、怪談。
 川沿い側を歩いていると、松の木が一本立っている。その下に白い着物を一枚だけ着た人がいる。行者らしいと一目で分かる。仙人のような白い髭を長く伸ばしている。
 旅人が近付くと、ここは何処かと問われる。きっと意味のあることを言っていると思い、島村街道、または島村界道の土手沿いの道とは答えにくい。禅問答のような問いかけだと旅人は受け取ったのだ。
 ここは道です。と曖昧に答えた。仙人なら道という言葉が好きなはず。
 道は歩くもの。と仙人が言う。
 当たり前のことなので、それにも意味があるのだと思い、少し考える。しかし、やはり道は歩くものだろう。寝転がりたかったら道ではなく、横の草原で休めばいい。
 これも返答に迷ったが。「そうです」と答えた。道はそのためにあるためだ。ただ、馬も歩くだろう。急ぐときは走るだろうが。
 仙人のような白髭老人は、少し目を細めた。合っているのか、外れているのかは分からない。
 そして、そのまま、もう旅人を見ないで、川を見ている。
 旅人は仙人の横をすり抜け、先へ進んだが、どうも気になる。何者だろうかと。
 それで、しばらく行ったところで、引き返した。同じ道ではなく、その土手道の下の繁みに沿って。当然、道などないが。
 大きな松の木が目印。あの仙人が何をするのかを見ようとした。
 繁みから見上げると、土手道と松の木と老人。
 やはり立っている。
 きっと、この道を行く人に、声をかけるのだろう。案の定、旅人が来た。
 そして二人は向かい合って、何やら問答をしている。流石に聞き取れないが、同じ問いかけでもやっているのだろう。
 道は足で歩く。と言っていたのを思いだし、老人の足元をふと見る。川風で着物の裾がなびく。だが、あるべきものがない。
 着物の下に出ているはずの足がない。浮いているのだ。
 旅人は仰天し、声を出しかけたが、手で塞ぎ、そっとその場を離れた。
 この世のものではないものとの境目にある界道とは、このことだった。
 
   了
 


 


2022年9月11日

 

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