小説 川崎サイト

 

消えた畑


 毎日のように通っていた道だが、今は月に一度になる。浦田は道沿いの変化に少しだけ興味がいく。一ヶ月でもしばらくぶりだろうか。久しぶりの範囲は結構長かったり短かったりするが、月に一度なら、それほど久しくも、しばらくぶりでもないかもしれない。
 それほど変化がないためだ。同じような空間だが見えているものが少しだけ違う。これで時間の経過が分かったりするのだが、一週間で終わってしまった変化なら、最初も最後も見ていない。
 また、午前中と午後とでは違うだろう。午前中にあったものが午後にはなくなっていたり、その逆もある。
 ずっと見ているわけではないので、細やかな変化などは見ていない。ただ時間的な意味合いはそれほど感じない。ある程度の長さが必要。一ヶ月なら、程良いだろうか。
 田んぼだったところがマンションの敷地に変わっていた。まだ建っていないが、既に入居者募集の看板がある。
 浦田が毎日通っていた頃は、腰の曲がった農夫がが耕していた。だから田んぼではなく、畑。しかし野草の方が多く、水溜まりも出来ており、畝などはなかった。
 農夫と言っているが、このへんの大地主だろう。その人が亡くなったのではないかと浦田は想像した。どうしても不動産屋などに売ろうとしなかったのだが、代が変わり、さっと売ってしまったのだろうと。
 なぜ売らないでいたのか。それは土を耕したり、育てたかったのだろう。その手間暇がいい時間潰しになり、やることが出来る。
 本物の広さの畑でそれをやりたかったはず。それに赤ん坊の頃から慣れ親しんだ場所。
 その農夫は、そこからかなり離れたところでも見かけた。そこにも田畑を持っているのだ。ただ、野原に近くなっていたが。
 先月はまだ畑が残っていたのだが、今月は消えていることで、浦田は人の動きを感じた。自然にそうなるわけではなく、取引があったのだろう。または人の事情も。
 だが、その老農夫、亡くなったのかはどうかは想像内。また何処かで見かけるかもしれない。
 大きな農家の主人で、その前にも畑がある。そこにいなければ、畑に出られない事情が出来たのだろう。
 人の事情、これは浦田にも事情があり、毎日から毎月になっている。
 時と共に変化しているのは風景だけではないのだ。浦田もその風景の中の一つ。農夫から見れば、最近見かけなくなった通行人だと思われていたかもしれない。
 
   了
 
 


 


2022年9月14日

 

小説 川崎サイト