小説 川崎サイト

 

チュウさん


「チュウさん?」
「はい、このデザイン事務所にいると聞いて、お会いしたくて」
「チュウさん?」
 誰だか、分からないようだ。
「チーフのことじゃないですかね」
 もう一人が言う。
「チーフと、チューさん。そんな呼び間違いはないと思うが」
「それで、何をしに来たわけですか」
「ここにチューさんがいると聞いて、頼み事がありまして」
「あ、そう。でも、チーフのことじゃないし、誰だろう」
「社長じゃないですか」
 もう一人が言う。
「社長の下の名は忠義」
「ああ、それでチュウさんか」
「しかし、社長をチュウさんと呼べるような人なんて少ないですよ。それで、君、誰からチュウさんがここにいると、聞いたのかね。その教えてくれた人がチュウさんと気安く呼んだわけだけど、どんな人だ」
「はい、チュウさんの後輩です」
「後輩なら、親しみを込めて、そう呼ぶかもしれないねえ。でも学生時代でしょ」
「そうです」
「今でも、その人は社長と付き合いがあるのかね」
「はい、よくチュウさんが言っていたとか。チュウさんはこうやっているとか、チュウさんに聞けば分かるとか、よく出てきます」
「誰だ」
「深川という人です。僕の先輩です」
「デザイン事務所かね」
「いえ、趣味の会での先輩です」
「何の会」
「絵を書く会です」
「まあ、いいけど、社長は今は留守だ」
「では、出直してきます。あ、戻ってこられた深川がよろしくと」
「深川だね、社長の後輩の。はい、分かりました」
 デザインスタジオのチュウさんこと前田忠義が戻ってきた。
「深川?」
「はい、社長の後輩とか」
「後輩は多いよ。何処での後輩だ」
「学生時代の」
「ああ、あの深川か」
 専門学校時代の後輩だが、数ヶ月で忠義は辞めている。
「深川さんとは親しいとか」
「そうだったかな。まだ十代の頃だ」
「社長のことをチュウさんと呼んでいるとか。その後輩がさっき来ていましたよ」
「そういえば、この前、画材店で深川と会ったかな。立ち話で別れたけど。確かに彼は僕のことをチュウさんと呼んでいるなあ。間違いはない」
「で、その深川の後輩で、さっき来ていたという人、何の用事かな」
「藤田と言ってました。頼み事があるらしいのです」
「あ、そう深川は駄目な奴だったが、その後輩まで駄目な奴ではなかろう」
「いえ、そのさっき来ていた藤田という男、駄目そうでしたが」
「上辺だけで判断しては駄目だよ」
「そのまんまだと思います」
 他のスタッフも、そうだと同意した。
 数ヶ月しか行っていない専門学校。藤田は少し遅れて入ってきたので後輩。忠義はあの時代のことは思い出したくないようだ。
 その後、その藤田が訪ねてきた。社長の忠義は運良くいたので、相手をした。
 仕事があれば分けてくれとの話。深川がチュウさんなら便宜を図ってくれるだろうと言っていたとか。
 それを聞いた忠義は、にやっと笑った。安心したようだ。とんでもないことを言ってくると思ったためだろう。
 
   了




 


2022年9月19日

 

小説 川崎サイト