小説 川崎サイト

 

精神逃げ


「僕は何処にいるんでしょうねえ」
「ここにいるじゃないか」
「しかし、たまに分からなくなります。自分の存在が」
「存在か」
「はい」
「それを言い出すと余計に分からなくなるよ」
「でも、存在感が」
「存在感」
「はい、ここにいるという」
「いるじゃないか」
「そうなんですが、もっとはっきりとしたものとして」
「君は見えているよ。確かにいるよ」
「本当でしょうか」
「幽霊がいるとして、それは半透明だったりした場合、君は半透明ではない。スケルトンでもない」
「はあ」
「君がいるのは、ここだ」
「あ、はい」
「空間を占めておる。ここに君がいると、他のものは同じ地上に立てない。虫ならいいがね。上空の鳥ならいいがね。しかし、虫も、君のいるところにはいけない。君がいるからね。土の中ならいいが、それは別の空間だ。鳥も君が立っている地面には下りてこられない。空間を占めているからね」
「ここは談話室です。地面はありません」
「では、そこに座っておる。その椅子にね。他の人はもうそこには座れない。君を追い出せば座れるがね。また君が去れば座れるがね。これが存在というものだよ」
「だから、そういう物理的なことではなく、精神的なことで、僕の存在が分からなくなりました」
「精神へ逃げたな」
「え」
「ネタがなくなると、精神世界に入る。気持ちの問題にな。弄るものがなくなると、精神へ行く」
「そうなんですか」
「だから、あまり上等な逃げ方ではない。ありふれた逃げ方で、そっちへついつい行ってしまうもの。これを精神逃げと呼んでおる」
「でも僕の精神状態は」
「病気か」
「いえ」
「悪いんだろ」
「精神を病んではいません。つい考えたのです」
「そういうことは暇な奴がやることだよ」
「暇ではありませんが、何となく不安定で」
「じゃ、重しを付ければいい」
「そういう物理的なことではなく、精神活動上の話です。もっと知的な」
「知的逃げだな。それも臭い手だ」
「先生にはそういうことがないのですか」
「あるが、そんなことは人に話すことじゃない。恥ずかしいじゃないか。それに弱みを見せるようなもの」
「先生の自我は強固なのですね」
「自我」
「はい。自我です」
「それも臭い」
「私は池田だ。自我先生じゃない」
「怖い」
「余計なことをいわないで、作業を続けなさい。そうすれば存在感も出てくるだろう」
「本当ですか」
「精神的なことに持ち込むのは反則だよ」
「はい、分かったことにします」
「二度と私の前で、ややこしいことをいうでない」
「先生は、もっとややこしい人だと聞きましたが」
「知らん」
 
   了

 



2022年9月21日

 

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