小説 川崎サイト

 

心が軽い

 
 時田は近くにある勤務先へ自転車で行く。
 今朝はペダルが軽く、気分がいい。きっと調子が良いのだと思っていたが、風向きが昨日とは違っていた。
 急に寒くなる晩秋の入口。気持ちの問題で軽快なのではなく、ペダルにかかる足から来ている。そのためか、気分のいいネタなどなかった。内面からではなく外から来ていることに気付く。
 ただ、気分が良い時は向かい風でも鬱陶しい空模様でも、気分の良さは変わらない。だからこれは内から来ている。
 また、いくらいい天気で、いい感じでも、内から来ている鬱陶しさなどは消えない。外の影響ではなく、内の影響なので。しかし、少しはましだろう。それが雨の日よりも。
 時田は追い風なので、ペダルが軽いとは考えなかった。この時期は向かい風なので。しかしその軽さで気持ちが軽くなり、いい感じなのだ。
 内からの心配事が出たり入ったりしていない日なので、この錯覚に乗ってしまう。しかし、すぐに気付き、風のせいだと分かった。
 もし、それに気付かなければ、今朝は調子の良い日だと思うだろう。気持ちも溌剌とし、元気。
 これは体調も気分も言うほど悪くはなく、良くもない状態だったので、騙されたのだ。どちらかに傾いておれば、また違っていただろう。
 心が軽いのでペダルが軽いのではないが、この錯覚を利用出来ないものかと、考えた。
 ただ、それは気の持ち方程度のことなので、そんなものは何かあればすぐに破られる。
 また、色々な善い話を聞き、参考にし、時田もやってみようと心がけることもあるが、それは意識的にならないと出来ない。
 そして忘れてしまい。すぐに地が出る。付け焼き刃という感じで、身に付いていない頭だけの話になる。分かっているけどやめられないようなもの。
 しかし、追い風のせいだとは知らず、ペダルの軽さから気持ちの軽さを感じたこの錯覚。
 そういう錯覚が必要なのではないかと考える。錯覚なので凝ったものではないし、作為的なものとか、心がけとかではなく、ただの勘違い。
 これは体が先に来るのだろう。ペダルの場合は足とか、呼吸に。
 しかし、気持ちで体を欺せない。体は気持ちの都合通りには動いてくれない。だが、本気でそう思い込んでしまえると、体を欺せるかもしれない。
 それで時田は、その錯覚から覚め、勤務先に到着した。空気はがらりと変わり、もう先ほどのペダル云々、気分云々の世界とは切れてしまった。
 しかし、先ほどの一寸気分が良かった残り香のようなものがあり、いつもよりも勤務先内の様子も、少しだけ嫌な感じはしなかった。ほんの二パーセントだが。
 
   了
 



2022年10月28日

 

小説 川崎サイト