小説 川崎サイト

 

外界内界

 
 信号を渡れば外界に出る。外海と言ってもいい。信号の先、すぐに海になるわけではない。この海は「そとうみ」で、語呂としては良い。
 本当の海ではない。また外界、これも内界ではなく外界。内ではなく、外。
 しかし、信号の向こう側の町並みは見えている。信号の手前の風景とあまり違わない。川でも此岸と彼岸の差がなかったりする場合もあるが、一寸様子が違う。途切れるためだ。
 だが、青になり、道路を渡るだけの距離では、それほど変化はない。
 上山はいつもこの交差点に来ると、それを考える。渡らずに右へ曲がれば家路。進めば進むほど家に近くなり、上山の内側にどんどん近付く。これは知っているところが多くなるため。さらに近付くと、あの家は誰が住んでいるのかさえ分かる。
 その信号、赤が多い。長い。幹線道路と小道が交差するため、幹線道路が優先。
 しかし、その小道、昔はこのあたりでは最も大きく、そして長く延びている道。つまり、街道だった。今は車がすれ違うのがやっとの道。
 街道だっただけに、信号を渡ったその先は何処までも続いているほどで、次々と外界の世界が展開されていた。
 しかし、昔と違い、もうその沿道も賑わっていない。大きな国道に取って代われたため。しかし、並行して走っている。
 もう少し外の世界へ出たい。と上山は、そこで思うのだが、思っているだけで、滅多に信号を渡らない。
 待ち時間が長いし、偶然、青の時でもないと、その気にならないのだろう。考えてしまうと戻り道を選ぶ。
 ふと、何気なくなどはない。いつも何気がある。
 これは旅行に行くのでも、行楽で遊びに行くわけでもない。自転車でウロウロする程度。
 その気になって、道を渡ったこともあるが、少し走ったところで、すぐに引き返すことが多い。その先は切りがなほど続いているため。
 だから、適当なところで、切り上げる。調子の悪い時は早い目に切る。良い時は、もう少し先で切る。
 外界に出て戻った日は、特別な何かを得たわけではなく、気持ちの上でもスッキリするわけでもなく、戻ると遅くなるので、余計な道草をしたと思うことが多い。
 上山にとっての信号の向こう側の外界、内界と似たようなものなのだが、内界の範囲内ではない。これを取り込めば領地拡大になり、内界が増えるのだが、それでは広すぎるので、そこで区切っているようだ。
 
   了

 



2022年11月15日

 

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