小説 川崎サイト

 

何もない日

 
 今日は何もない日だなあ、と間宮は思った。真っ先にそれを思ったわけではない。寝床から出たとき、今日は何をする日かと、思い出しているとき、何もないことに気付いた。
 つまり何もない日。しかし日がないわけではない。二十四時間あるが、寝ている時間を引くと、起きてから寝るまでの時間。これが旅行で一泊なら、寝ているときは旅館やホテルの中。
 これは何かあるに等しい。別の場所、そして初めて寝る場所なので、旅から戻ってくるまで全て何かあるのだろう。ただ、寝入ってしまうと分からなくなるが。
 何かある日でも、間宮は夕食後は何もない時間に戻る。午前中に用事が終われば何かある日は終わる。
 だから、何かある日で一日過ごすということは、滅多にない。ただ、その何かが夕食後、寝る直前まで続くようなこともあるが。
 何かある日の中に何もない時間が挟まっているのか、何もない日の中に何かあることが挟まっているのか。それは用件とかにもより様々。
 しかし、今日はまったく何もない。
 何もないからといって何もしなくてもいいわけではない。ご飯を食べないといけないし、買い物にも出るだろう。
 部屋の中でじっとしていると飽きてくるので、外に出るが、これは別にしなくてもいい。
 何もない日。これは普段通りのことをやればいい。常日頃繰り返していること。
 しかし、その中でも何かがある。掃除をしていて、物をのけると、ゴミが溜まっていたり、汚れていたりする。
 ここでやっと何かがあることになる。やることが。
 普段は小さな物入れの裏側などは見ていない。またそこまで掃除はしない。
 そのものは樹脂製の大きな箱で、底に車が付いている。だから移動させやすい。これは引っ越しの時に買ったもので、中はそのまま。
 引っ越しの時に使った段ボール箱をそのまま開けないで、仕舞っているのに近い。ガラクタしか入っていないのが分かっているので。
 使うことはないが、捨てるには惜しい食器とかだ。
 その蓋が外れかかっていたのか、簡単に開いた。
 中は蜘蛛の巣やゴキブリの羽らしいのが見える。小さな虫も驚いて、動いている。
 そのガラクタの隙間に光る物が二つ。虫の目だろうか。それにしては明るすぎる。豆電球よりも小さいので粒電球。コンセントを差せば付くあの小さな明かりのような目玉。
 何だろうと、長いもので触れると、ささっと逃げたかと思うと、間宮の方を振り返り、毛むくじゃらの足か手か分からないようなもので牽制しだした。
 光っている目玉が、点いたり消えたりする。
 食器をのけると、びっしりと、似たようなものがいる。最初に出てきたものよりも小さい。子供だろうか。
 ここは、その生き物の巣になっていたようだ。果たして、それを生き物と言えるのかどうかは分からない。
 蜘蛛ならもっと分かりやすいのだ、そういう形ではない。似ているのだが足の数が違う。四つ足なのだ。もしかすると、前足ではなく、腕かもしれない。
 間宮は仰天したが、しすぎたためか、それほど驚いた様子はない。
 今日は何もない日のはず。しかし、これはありすぎではないか。やり過ぎだろう。
 と、掃除をしながら、そんなことを想像した。
 しかし、以前よく使っていた茶碗が見付かったので、それが収穫。
 何もなくはないが、なくしたと思っていた茶碗が戻った日になる。しかし、その程度では、何かある日だったとは言えないだろう。
 
   了

 



 


2022年11月26日

 

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