小説 川崎サイト

 

黒豆様

川崎ゆきお



 住宅地に煙があがっている。
 黒煙だ。
 自転車で走っていた主婦たちは手で扇いだり、口や鼻を手で押さえている。
 煙の正体は竈だった。
 大きな農家の屋敷からの煙だ。
 まだ、煙突や竈のある家があるのだ。
「失敗しましたなあ」
 神主のような扮装の老人が残念そうに釜の中を見ている。
「手違いがあったの?」
「言い伝えは嘘だった」
「じゃ、うちのお爺ちゃんが嘘をついたとでも」
「言い伝えが嘘だっただけで、爺さんが嘘つきではない」
「黒豆様はなんて、やっぱり嘘だったんだ」
「やはり、無理な話だ。だから、誰も試さないんじゃよ」
 黒豆を家宝の釜で煮続けると、黒豆様が現れるという言い伝えが、先祖代々からある。
 桜の古木を蒔きにするのだが、それを手に入れるだけでも一苦労だった。
 黒豆は栽培しているため、いくらでもあり、極上のものが使われた。
「これはのう、儀式なんかもしれんのう」
 神主風の老人は神主ではないが、氏子総代を何度も務めた土地の古老だ。
「悟君、これで納得がいったかな?」
「煙が出ただけで、黒豆様は出ませんでした」
「ここだけの話だが、そんなものが出るとは最初から信じちゃおらんかったんじゃないのかい」
「そうだけど、もしかして出たら凄いと思って」
「だからもう、黒豆様の言い伝えなど忘れなされ」
「うん。でも、どうしてそんな言い伝えができたんだろう」
「黒豆信仰じゃよ。どの家も昔から黒豆を作っておったからのう。黒豆のお陰で、わしらは生き延びたんじゃ」
「ふーん」
「この村の神社は大黒天じゃろ。あれは黒豆様のことじゃ」
「大黒天と黒豆様は違うと思うけど」
「黒いからいいんじゃ」
「ああ、黒豆様を召喚したかったなあ」
「残念残念」
 立ちのぼった黒煙は人型になっていたのだが、誰も気づかなかったようだ。
 
   了


2007年11月21日

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