小説 川崎サイト

 

枯れ葉

 
 枯れ葉溜まり、寄せ集まり茶色く濁った落ち葉。風が寄せたのだろう。吹き溜まりと言うには直線上。路肩の段が堤防になるのか、その下が一番重なり合っている。古い順に奥に溜まる。
 桜庭は自転車のタイヤから僅かに聞き取れるカサカサさという音を聞く。スナック菓子を連想した。スカスカの駄菓子、その記憶の中の音と、枯れ葉をタイヤが踏む音とが重なり、音だけではなく、感触まで伝わってくる。
 上を見ると桜並木。既に枝だけ。しかし、落ち切れないのか、引っかかっているのか、強情な葉がまだ残っている。下で枯れきらないで、上で枯れきろうとしている。
 落ちなくても落ちた葉と同じような色になる。萎れすぎ、形は葉桜の頃のみずみずしさはなく、形も歪んでいる。
 桜が咲いたのは、ついこの前のことだと思えるほど、一気に時が流れた感はあるが、それなりの中味はある。一気でも一瞬でもない。まだ冬だが、花見の頃から連続した時の流れを感じているが、それは記憶にあるため。
 だが、桜を基点にした時間軸ではなく、それ以外の思い出の方が圧倒的に多い。ただ、思い出というには一年弱では近すぎる。
 桜庭は昨日もこの道路の路肩を自転車で走っていた。そのときはただ単に落ち葉が多いことは気付いていたが、それをタイヤで踏む感触などは無視していた。状態はきっと今日と同じだったのだが。
 桜並木近くの家の前で落ち葉を掃除している光景を見かけたが、最近は見ない。きりがないためか、もう落ちなくなったのか。
 公道の路肩までは管轄外なので、そこは自然に任せてある。
 この桜、取って付けたような自然だが、桜は桜の自然に従い、紅葉し、やがて葉は落ちる。春なら桜の花びらを落とす。これは最初は綺麗だ。上にある桜もいいが、下にある桜もいい。ただ、形は既になく、バラバラの花びら。そうでないと桜吹雪にはならない。
 その日、桜庭はなぜそんなことを思ったのだろう。昨日もその前の日も、そしてほぼ毎日のようにそこを通っているし、路肩の落ち葉など飽きるほど見ているのに。
 だから偶然だろう。しかし、そのきっかけがない。注目する何かがないまま、落ち葉を意識した。これはきっと桜の枯れ葉からではなく、桜庭側にあるのだろう。
 何かが一段落し、一寸息をついても良い日だった。それで、そんな余計なことを思うゆとりができたのかもしれない。
 当然のことながら、桜庭はその道を次の日も通ったが、もうそんな感慨は消えていた。
 
   了

  


2023年1月21日

 

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