小説 川崎サイト

 

平穏無事

 
 平穏無事。同じ平穏無事でも、非常にいい平穏さがあり、これは平穏から越えるほど。
 当然無事、無事に過ごしているどころか、調子が良すぎるほど。
 逆にギリギリセーフの平穏無事もある。あと一つ違うと、平穏でもないし、無事でもない。しかし、まだ平穏無事の範囲内。特に支障はない。
 平穏無事があるのだから、そうではないときもある。このとき、一時間ほど平穏無事ではなかったとかでは、どうだろう。
 しかし、その後、普通に戻り、一日を終えたのなら、その日は平穏無事と言えるかどうか。
 一週間単位や月単位、年単位となると、これも一日の単位と同じで、その日を終えてから、その週や月や、年を終えたときに評価するようなもので、その評価時点が平穏無事でないと、全体の評価も低くなる。
 逆に評価した時点が平穏無事なら、そうでなかったことも吸収してしまうかもしれない。終わったことと、現代進行中のことでは、先に関わるためだろうか。
 また、平穏無事ではないことが起こっていても、平穏無事に丸め込んでしまうこともある。そんなことはなかったとして。また、そう受け止めたくないので、丸め込む。
 平穏無事があるのなら、そうではないこともあるのだが、自己申告の場合、その評価は曖昧。
 これは受け止め方、受け取り方が違うためだろうか。どちらにしても、それを評価する時点がポイントになる。
 宇田の場合、平穏無事の幅が非常に広く、肥大している。多少平穏でなくても、平穏の中に入れてしまう。平穏への評価が甘い。
 しかし、平穏無事でなくても、ずっとそれが続くと、慣れてきて、それが普段通りになり、普通になり、そのうち、それが当たり前になり、そういうものだとなり、何処で逆転するのか平穏無事になる。平穏でもなく、無事ではないのだが。
 平穏無事。これはあまり悪いことが起こっていない状態を主に指すようだが、その逆もある。平穏ではいられないような良いことがあったとか。小躍りするような出来事と遭遇したとか。無事どころか、元気で体も気力も持て余しているとか。
 これでは平穏無事とは言えないかもしれない。それに幸運に恵まれたり、とんでもないような良いことがあると、そのあとの反動が怖いだろう。
 平々凡々平穏無事。そこから少しはみ出しても、宇田はその中に丸め込むようだ。何事も起こっていないと。
 しかし、平穏無事でないことは起こっているのだが。
 
   了

 

 


2023年2月14日

 

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