小説 川崎サイト

 

妖怪小豆洗

 
「妖怪には意識があるのでしょうか」
「あるでしょうなあ。私は妖怪ではないので、よく分からんが」
 妖怪博士担当編集者が妖怪の内面について妖怪博士に聞いている。次の妖怪の打ち合わせを終えたあとの雑談。
「しかし、小豆洗なら、未だにゴシゴシって、川縁で小豆ばかり洗っていますよ。米を洗っている小豆洗など聞いたことがありません。それじゃ米洗になりますが、米洗って妖怪、いますか」
「いるかもしれんなあ、神と同じで、いくらでも作れる」
「でも妖怪は勝手に作ってもいいですが、神様はまずいんじゃないですか」
「何かの用途とかが先にある。日があるので、日の神様。水があるので、水の神様という具合にな。小豆洗は行為タイプ。なぜ小豆なのかは知らんがな。これを作った人は小豆が気になったのだ。または川原の草間なら、米ではなく、小豆が良いのではないかと。しかし、なぜ小豆を選択したのかは分からん」
「話を戻します。小豆しか洗わない妖怪。これ、他のことはしないのですか。一つの動きだけを続けているわけでしょ。決まったことしかできない。これって意志があるのでしょうか。機械のようなものでしょ」
「いや、目撃されたのは川原で小豆を洗っているところだけで、洗った小豆を煮たりするはず」
「でも、未だにゴシゴシって、ずっと洗いっぱなしですよ。朝見たときも洗っているし、夕方見たときもまだ洗っているようなものです。ずっと洗い続けているだけじゃないでしょうか」
「しょうか」
「だから、これはロボットで、小豆を洗う動作には長けていても、それしかできない。もしかすると、歩けないかもしれませんよ」
「小豆洗には意志がある」
「どうして分かります」
「先ほど、君が言ったじゃないか。未だにゴシゴシと呟いているだろ。自分のやっていることが分かっているということじゃ。それに、小豆を洗うのは自分の意志で決めたことかもしれんしな」
「別の何者かに命じられたのかもしれませんよ」
「そのときはまだ小豆洗ではなかったはず。小豆を洗っていない小豆洗など、小豆洗とは言えない。これは何者か分からん。それに、小豆洗の前の小豆洗がいたとしても、小豆を洗う役目を断ることも出来たかもしれん」
「でも、どうして小豆なんでしょうか」
「まあ、おやつだろう。砂糖と煮ればアンコじゃ。だから小豆洗はその下拵えをしている者じゃろう。だから下働きの使用人のような服装のはず。小豆洗い三年。アコンを作るまでの長い修行。その特訓をやっておるのかもしれん」
「では、どうして、未だにゴシゴシなのですか」
「菓子職人にはなれなかったのかもしれん。未だに下働き」
「はあ」
「だから、小豆洗には意志がある。将来は饅頭屋でもやりたかった。だから、未だにという言葉になる。意志があるからじゃ」
「じゃ、不本意ながらゴシゴシとですか」
「それと、そういう人が巷には多数いたんだろうなあ。だから小豆洗を見るとほっとする」
「そうだったのですか」
「ただの想像。しかし、本当にいたのかもしれんしな」
「どんな姿でした」
「昔の人が書いた絵ではケモノに近いが、人じゃ。背は低い」
「じゃ、猿のような」
「いや、どう見ても人の顔。毛は多いが猿ほどではない。猿の赤ちゃんに近いかな。まあ、人とそっくりなら、逆に怖い。一寸違う程度の方が見やすい。そんな動物は誰も見たことがないので、これは妖怪」
「小豆洗には深い意味があったのですね。意志もあったんですね」
「これは私がこじつけて、適当に言っておるだけじゃよ」
「違っていても、小豆洗なんて見る機会などないですしね」
「たまにそういう人を見かけるがな」
「あ、はい」
 
   了

 


2023年2月18日

 

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