小説 川崎サイト

 

犬も歩けば

 
 偶然の良い訪れがある。これは期待していたものとの遭遇。そのため、期待していなければ、それが来ていても、無視だろう。
 または、そういうこともあるのか程度で、重さの意味が違う。期待するだけの意味のあるものが来たときはいい感じだ。どんな意味があるのかはしっかりとは言えなくても、少なくなく見積もっても好ましいもの。
 そして探しているときに見付けるより、そうでないときに、偶然やって来る場合の方が効く。これは効果だろう。何せ偶然なのだから。
 そして、そんな偶然とよく遭遇したものだと、そのものよりも、そのことに驚いたりする。それが良かったりする。
 当然期待しているもの、望んでいるもの、探しているものがなければ成立しないので、種まきや伏線や準備も必要だろう。
 また、常日頃から探しているものなら、探さなくてもやって来たことで驚く。まるで「これでしょ」と差し出されたように。
 誰から。
 偶然が同時に二つも来ると、これは何だろうかと思う。出来すぎているわけではなく。偶然重なったのだろう。
 つまり、そのものが偶然来ることでも驚きなのだが、別のものも、そのとき偶然来ているのだから、これは二つの驚きではなく、その重なり方で三つの驚きになる。
 びっくりするほどの驚きではなく、静かな驚き。来るときは重なって来るという程度だが。
 偶然は不思議と重なったり続いたりする。確率的な問題かもしれないが、その偶然に意味を見出すこともできる。決して不思議な力とは言わないが、蒔いた種が同じ時期に発芽した程度。だから覚えがあるのだ。
 そして、探しても見付からず、また探しようのないものが突然やってくる。これを待つしかないのだが、いつやって来るかは分からないし、また待っても、そんなものは最初からなかったりする。
 待つというのは気に掛ける程度。
 また、待っているとき、別のものと遭遇することもある。待っているものとは違うのだが、それに近いものとか、今まで見たことがないものとかと遭遇する。
 コイを釣りにいき、フナを釣ったようなものだが、フナでもいいかという感じもある。また、もしかすると、これは良いものではないかと、思えるものもある。
 色々とやっていると、偶然の接触もあり、思っても見なかった遭遇もある。
 
   了



 


2023年2月21日

 

小説 川崎サイト