小説 川崎サイト

 

ううーん

 
 ううーんとなることがある。ため息ほど抜けは良くない。何か引っかかっている。残念とかの念が残っているような。
 何ともならない、降参か、などと感じるときや、上手く行かなくなった時などにも、このううーんが出る。しゃがんで気張っているわけではない。
 荻窪はこのううーんをよく吐く。日常的になっており、習慣、癖かもしれない。
 しかし、ううーんと唸ると少し楽になる。息を吐くためだろう。はあーと。
 だからため息の一種なのだが、大事なこと、大変なことでも、つまらないことでも、このううーんが出る。幅が広い。
 しかし、ううーんにも音色があり、節回しがある。うっうーんもあれば、ううーだけとか、うーんとかもある。そういうことを意識してはいていないが、事柄により、微妙に違う。また、ため息の大きさや、歯切れや力み具合とかも。
 だから、ううーんと同じように聞こえるが、本当はかなり違う。
 阿吽というのがあり、あうんの呼吸とも言うようだが、「あ」と「ん」だろう。荻窪のううーんは「ん」の方。神社の対の狛犬の口の開け方の違い。
 ううーんでの口は閉じており、阿吽の「あ」の方は開いている。
 荻窪の場合、ああーとなるのだろう。当然「あっ」というのが正しいはず。驚いたとき。「あ」は吠えている、「ん」は唸っている。
 しかし、荻窪の場合、ああーと、ううーんは似たようなものになっている。「あ」を使う場合は、呆れた感じが多いようだ。「あ」でも「ん」でもどちらでもかまわないようだが、「ん」の方が楽。口を開けなくてもいいので。
 そのため「ん」で「あ」の役目もしているのかもしれない。または両方入っているのかもしれない。
 ううーんとなったときも、驚きとしてのううーんもあるのだ。
 凄く感動的なことに出合ったとき、困ったことになったと思うようなもの。感動しすぎるので、困るようなもの。
 ううーんの他にふーもある。ふーと一息。ため息ではなく、ふーだと安堵だろう。
 息というのは一寸止めると、死んでしまう。だから息は大事という意味ではないが、息の仕方、これは自然にやっていることで、とっさの場合は本音が出るだろう。音色だ。息なのだ。
 言葉よりも息遣いの方がリアルかもしれない。
 
   了
 


2023年2月23日

 

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