小説 川崎サイト

 

ほっと感

 
 岩下は、その日、何もなかった。その日がなかったわけではない。一日寝ていて、一日分、なかったことになるとしても、寝ている時間がある。それに丸一日ずっと眠れるわけではないだろう。病んでおれば別だが。
 だから、一日は確実にある。その中味も覚えている。ただ、一日分だけの記憶を失った場合は、これは別だ。しかし、そのことを誰かから教えてもらって、記憶にはないが、岩下はその日はあったことになる。
 そんな変なことではなく、今日は何もないと岩下は思った。まだ昼過ぎ、これから何かあるかもしれないが、おそらくそれもないだろう。この場合の何かとは、用事のようなもの。
 一週間ほど、色々と用事が重なっていたのだが、それが片付いた。だから、これという用事が消えたので、何もない日と感じたようだ。
 それなりにやることはあるのだが、特にいうほどのことではなく、いつものようにこなしていけばいい程度なので、気に掛けなくてもやれること。
 この気に掛けるとか、気掛かりとかが抜けたのだろう。そういうのが三つほどあり、どれも無関係なものだが、ひと息つき、一段落ついた感じ。次の息や、次の段があるだろうが、まだ未定。
 それで、少しだけ開放的になる。束縛が解けたため。
 別に縄で縛られていたわけではないが。
 つまり、その日はほっとできる日。これは報酬かもしれない。金銭ではなく、このほっと感が。
 それには何かをしていないと感じることは出来ない。少しだけプレッシャーのかかるものでないと終わった後のほっとした気持ちにはならないだろう。
 それらはやりたいことでもあるし、やらされていることもある。やらなければ仕方がないとか。
 しかし、嫌いではないこともあるので、やらされていることでもそれなりに充実する。しかし、終わればさらにほっとした感じが味わえる。これはそれほど刺激はないし、充実感もない。一息つく、その息だけだったりする。
 岩下は、それで時間的にも縛られていたし、そうでない事柄でも達成の手前でウロウロしていたこともある。
 別に難しいことではないが、満足を得るはずのことだが、得られない場合もある。だから、上手くいくかどうかはやってみないと分からないようなもの。そういうのが次々と片付いた。
 時間を要する用事が消えたので、その間、自由な時間が得られるが、この自由というのが曲者で、下手に何かをしない方がよかったりする。
 ただ、無意味なことで時間を潰すのは悪くはない。意味がないのだから、影響も少ない。
 自由とは、何をしても良い状態だが、ある限界内での話だ。しかし、自由を使わないのも、これまた自由だろう。
 その日、岩下は、ほっと感を一瞬味わっただけで、もう充分だった。
 
   了 
  
 


2023年2月25日

 

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