小説 川崎サイト

 

赤布の戦い

 
 狙うと失敗する。特に二匹目のドジョウは。
 島原はしまったと思った。やはり柳の下には二匹目のドジョウはいない。最初はいたのだが、次はいなかった。
 それからしばらくして行くと、いる。他の川縁にはいないが、柳の木の下にいる。
 柳の枝は垂れている。その先が川面に接している。そういう柳でないとドジョウはいない。しかし、毎回いるわけではない。だが、他の場所よりもいることは確か。
 だから柳の下にいる確率が他よりも高いので、そこが狙い目になる。
 しかし、狙っていてもいないときが多くなり、もう狙い目にはならなくなる。違う場所や違うポイントを探す必要がある。
 島原はドジョウ捕りではない。物事を見抜き、狙いを外さない人間。的確さがある。的を外さない。それは狙い所を知っているため。だが、たまにはズレることがある。だから狙い目を変えないといけなくなる。
 いつもいつも願った通りにはならないのだ。狙いが狂ったのか、逸れたか、流れが変わったのか、それは実際に当たってみないと分からない。
 外れれば失敗。しかし、踏んでみてやっと分かる情報だろう。観察しているだけでは分からない。
 狙うことはいいのだが、狙いすぎると、当たる物でも当たらなかったりする。先読みしすぎるのだ。
 一番いいのは偶然当たること。偶然なので、読めないし、失敗することの方が多い。それに偶然に頼るのは無策。やはり狙う方が、確率が高い。外れてもその近くのものを得られたりする。
 その戦国大名の側近や旗本衆の中に島原一坊がいる。武士ではない。僧侶ではない。山伏を上品にした感じの祈祷師のようなもの。しかし役職は軍師。ただ、作戦を練ったり決めたりするわけではない。
 それはしなくてもいい。占い師でもあるのだが、出陣前に仕事がある。今回の戦い、吉と出るか凶と出るかを占うのだ。答えは最初から決まっている。吉だ。
 儀式のようなもので、これは占いではない。吉と出たのだから勝ち戦、縁起がいい。それで鼓舞する程度。
 また島原一坊は楽隊のようなものの指揮者でもある。笛や太鼓や鉦で鼓舞する。そのままだ。
 戦いが始まり、そして膠着した。殿様は焦り、重臣達の意見を聞く。しかし、誰もこれといった方針がない。策がない。そのための軍師がいることなど誰も気付いていない。島原一坊が軍師なのだが、誰もそうだとは思っていない。
 重臣達が答えられないので、殿様は軍師を呼んだ。一番先に呼ぶべきだろう。しかし、ただの占い師で、しかも決まったことしか言わないのだから、占いでも何でもない。
 ただ、もう一つの面があり、それは祈祷師の面。これは願うだけで、念力でもなければ具体性はないだろう。これも鼓舞の一種だ。
 しかし島原一坊の職務は軍師。これは名だけのこと。軍略家でも何でもないし、そんな知識はない。
 それで殿様に聞かれ、島原一坊は困ってしまった。自分がそんなことが出来る人間ではないことなど分かっているはずなのに、なぜ命じるのかと。
 しかし、島原一坊は分かりました、しばらく猶予をといって引き受けてしまった。
 そして戦場での夜明け頃、本陣の前に柵ができていた。馬除けの柵だ。一晩で作ったらしい。
 その柵ではないと、重臣達は呆れた。
 その木の杭の先に、赤い布が結びつけられており、それが横に何本も並び、赤い色が靡いている。敵陣からもよく見える。
 柵違いの策だったが、敵は気味悪がり、撤退した。
 殿様は喜び、さらに島原一坊に次の策を聞いた。
 島原は、また柵を作るのでございますか、と答えた。
 
   了

 


2023年3月29日

 

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