小説 川崎サイト

 

有り難いお話

 
 雁坊寺の説法は人気がある。元々は大寺の宿坊だったが、そこが途絶え、宿坊の方が本寺になった。
 この雁坊寺、町に近く、今で言う演芸などの寄席のような小屋がある。本堂ではなく、別棟。
 法要などの休憩所としても使われているが、月に何度か法話の会がある。これが落語のように面白い。元々はそこから落語が生まれたのではないかと言われている。ただし、木戸銭などは取らず、無料。
 有り難い話を面白可笑しく聞かせる。その中でも口が上手く、話し方の上手な僧は、そのまま噺家になれるだろう。
 説法、法話をする僧は何人かおり、たまに妙な人がやることもある。これは落語の間に手品を入れるのに近い。
「人は好きか嫌いかで生きておりますなあ」
 と、語り出す、この人、毛色の違う話をする。色物というわけではないが。
「快不快で人は生きておりましてな。これは分かりやすいでしょ。何方様でも分かる話、思い当たるでしょう」
 本音はそうだが、建前上、そうも言ってられないのだが、確かに当たっている。しかし、それではいけないというのが仏の教えなのだが。
「気持ちの良い事や気持ちの悪い事は人様々でございますが、大凡似ておりますわな。誰しも嫌がる事とかがあるようで、また誰しもが好むものもありますわな」
 しかし、例外もあるだろう。ある使命のため、嫌なことでも好んでやる。しかし、実際には嫌なことなので、出来たら避けたいところ。
「好きか嫌いか、気持ちいいか悪いか。それだけでいいのですな。面倒なことなど考えずに」
 これはただの快楽主義になるのだが、それでも世の中を渡っていく場合、苦も付きまとうだろう。そのため、苦楽がある。苦もあれば楽もある。
 それらのことは同じことで、楽も苦も同じであり、そして、そんなものは幻のようなものだと言えば法話らしくなるのだが、この人はそう言わない。そちらへ持って行かない。
 その演者、そう言うことばかり言っているだけで、落ちがない。
 それを聞いていた僧侶達が、一寸違和感を抱いた。
「何者でしょう、あの人は」
「うちの客僧ですが」
「本当に僧なのですかな」
「そうです」
 これが落ちだったようだ。
 
   了


2023年4月1日

 

小説 川崎サイト