小説 川崎サイト

 

諸行無常

 
 諸行無常の響きありと、平家物語で有名だが、世の中変わらないものは何一つなく、全てが変化し、変わっていく。また消えたり増えたりする。
 平家全盛時代、平家でないと人ではないと言ったかどうか分からないが、一見して平家の世の中。しかし、それはいずれ亡びる。だから長い期間ではない。
 ところが平安時代とか、江戸時代とかは長い。藤原の世、徳川の世が続き、そこで産まれた人は、ずっと徳川の世を生きたことになる。生きている間は変わらない。
 諸行無常を期待し、変わって欲しいものが一生変わらないままというのもある。これは世の中ではなく、本人が変わることで、何とかなるのかもしれない。
 確かに色々なものが年々変わっていくし、本人も変わるので、いつも同じと言うことではないが、かなり長いスパンで見ると、地球が爆発しない限り、あり続けるはず。いずれは消滅するので。確かに常のままではないだろうが。
 ただ、その人が生きている間の話となると、産まれた場所や親は変わらない。その場所、地名が変わるかもしれない。親も変わらないが、親が別にいて、そちらが本当の親だったというのは物語ではよくある。当然、養子に行けば、親も変わる。ただ本当の親ではない。産みの親は変わらない。
 移りゆく季節。これは変わるが、諸行無常の悲しさだけではないだろう。そして、四季のある地域は秋から春にはならないし、夏から冬にはいきなりならない。ぐるぐる回るのだが、順番がある。それは変わらない。しかし、天地異変が起こり、順番も変わり、また四季がなくなるかもしれないが。
 諸行無常は一寸悲しいこと、残念なことがあったときには使いやすい。常に変わらないと思っていたことが、都合のいいふうに変わった場合、諸行無常とは言わないだろう。やはり悪いことが多いようだ。
 平家にとり、その滅びは良いことではないが、それで都合が悪かった人にとっては喜ばしいことだったのかもしれない。また、それを哀れんだ人が諸行無常と言ったのかもしれない。
 祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。確かにあのゴーンという鐘の音、深く響くし、音を引くので、長い間聞こえる。その余韻が良いのだろう。
 変わらぬもの、常なるもの。賞味期限がある。
 
   了

 


2023年4月9日

 

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