小説 川崎サイト

 

仙人になりかかった男

 
「拝嶽に入られた」
「いよいよあの仙人、本当の仙人になる気か」
 拝嶽は奥山に突き出たる険しい岩山。登る人などおらず、また登る用事もない。あるとすれば仙人になるため。
 ただ、その周辺は狩り場になっており、猟師がたまに入り込むが、獲物は少ない。
 拝嶽は山脈に突き出た島ような山で、その真下は絶壁で、深い渓谷が口を開けている。登れるとすれば表側から。それほど高い山ではなく、山塊の中の一つ。しかし、裏側に隠れているので、回り込まないと見えない。
 仙行の最終仕上げのような場所で、その頂に這い上がり、そこでじっとしているだけでいい。座っているだけで。
 しかし沢からの谷風が強く、手をついて座らないと、飛ばされるほど。頂上に人一人座れる程度の場所があり、これは突き出た岩山の上にもう一段先端があるようなもの。
 だからここで数日座り続けるだけでも行になり、それにふさわしい。決して荒行ではないが、目を閉じれば水平感覚が悪くなり、ふらつく。そのため長くは座り続けられない。それは一般の行者のことで、仙人になりかけの者なら、岩と化し、一体となるらしい。
 仙人になりつつある吉之助は、それなりに年を取っている。あまり若い仙人は聞かないので、修行の期間が長いのだろう。
「止めるべきではありませんか。拝嶽の先端でじっとしておると、死んだものだと勘違いされ鳥の餌食になるのでは。その鳥を追い払うとき、下手をすると落ちまする」
「余計な心配はせんでもいい。吉之助様はこれで仙人になられる。喜ばしいことではないか」
「空を飛んだり、不老不死になるのでしょうか」
「それりゃ、死んでおるんじゃろ」
「ああ、そうですなあ」
「吉之助様とは馴染みが深い。修行しているのをよく見かけるでのう。立派な仙人なられることを祈っておるよ」
 吉之助は山から一番近い寺に滞在している。ここが定宿らしい。仙人とまではいかないが、修験者などの宿泊所として、この寺は宿を提供している。ただし、金子や米は必要だ。
 その寺から吉之助が拝嶽へ向かったらしく、村外れまで見送り人がいた。
 この吉之助の行というのは大人しいもので、それほど体を使わず、瞑想が多い。また野山に入り込み、じっとしていることもある。滝があっても滝行などはしない。じっと見ているだけ。
 だから修験者のそれとかなり違う。吉之助には師匠がいた。この人も仙人になりつつあった人で、既に亡くなっているが、修行の方法を吉之助は教えてもらっている。それで流派ができるわけではない。
 村外れから山に入るのだが、何せ奥山の外れに拝嶽はある。かなり遠い。
 人の気配が抜ける境目に二柱の木が立っている。白木で皮は剥いてあるので、すぐに分かる。注連縄などはない。
 そこから人の手が入っていない山岳地帯に出る。村人も、ここまでは滅多に入り込まない。猟師程度だ。木こりもいるが、いずれも村人の兼業。
 吉之助が山に入った翌朝、倒れている姿があった。
 一晩持たなかったのだろう。しかし、場所が奥山に入ったところで、まだ序の口。そこで吉之助はのびていた。
 これは早朝猟師が見付けている。山に入るところだったのだ。
 奥山の裏側にある拝嶽。そこへ向かうとば口で倒れたことになる。
 意識はあった。
 情けなさそうな顔の吉之助。面目なしとばかり泣きだした。
 村人の猟師が聞くと、足腰が言うことを効かなくなったとか。
 運動不足の仙人候補もいるのだろう。
 
   了

  


2023年4月27日

 

小説 川崎サイト