小説 川崎サイト

 

是非もなし

 
 五月の連休には気を付けよ。と佐久間は言われている。佐久間は今年春、新入社員としてスタートした。
 見るもの聞くもの新鮮だが、それなりに慣れた。観光に来ているわけではないので、地味なものだが、ここにはここの世界があり、外からは窺い知れない。
 どういう仕事内容なのかは分かっているのだが、実際にやってみると、細かな段階があり、順番があり、決まりがあり、禁じ手がありで、仕事の中味よりも、そちらの方が難しかったりする。
 延岡という変わった先輩がおり、かなり年なのだが、窓際に席を設けている。ここがいいらしい。長いので、どの机を使うかはかなり融通が利く。殆ど入れ替わっているので、そのフロアの一角に残っているのは延岡だけ。
 その延岡から連休には気をつけろ。そこに関所がある。それを越えられない者がいる。それを越えたとしても次はすぐに盆休みがある。ここでやられることがあり、五月の連休を乗り越えても安心できない。もうそのあたりで、へなへなになっており、盆休みで一気に持って行かれるだろうと。
 佐久間はそれを思い出している。大型連休中は遅い起床。好きなだけ寝ていたのか、もう昼前。気候がいいのでよく眠れるのだろう。しかし、昨日も遅起きだった。
 その会社は土日は休み。だから二日続けて休むのには慣れている。しかし日曜の夜は、もう夜更かしできないし、明日会社だと思うと、ゆったりと夜を過ごせない。
 寝てしまえば同じで、起きてしまえば同じなので、それに関しての問題は起こっていない。延岡先輩が言うようなことには該当しないはず。
 しかし、三日続けて朝寝坊で来ている。これは学生時代は始終で、そこに戻った感じだ。
 延岡先輩は、その戻る、戻されるということも言っていた。いつの時代まで戻されるのかまでは聞いていない。
 子供の頃まで戻されるとなると、これはいい感じだ。さらに赤ちゃん時代までになると、これは記憶がないので、よく分からない。
 休みの日でも起きる時間は同じにせよとも忠告された。それは守っていない。
 そろそろ来ているかもしれないと佐久間が感じるのは記憶が遠ざかっていくことだ。会社の記憶。数日前までいた世界。延岡先輩のことは今でも存在感はあるが、会社そのものが遠ざかっている。もう小さな世界に。
 ただ、大型連休が明ければ、そこに戻ることは分かっているし、またその予定だ。そんな曖昧なことではなく、これははっきりしているので、予定でも何でもない。行かなくてもいいということなど有り得ない。
 だが、その有り得なさが、有り得るかもしれないと、小さな粒が発生している。まるで綿菓子の最初の粒のように。
 これか、これが来るのか、と佐久間は思ったのだが、そういう面もある程度。そういう気持ちも少しはある程度。だからこれが芽生えなのだ。
 延岡先輩はそれの恐ろしさを言っているのだ。そう気付いたので、そんな考えはすぐに否定した。それ以外の選択はないのだから。
 そして、連休明けの朝。佐久間は昼前まで寝ていた。時計を見たとき、是非もなしと、呟いた。
 
   了
 


2023年5月6日

 

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