小説 川崎サイト

 

詫びの寺

 
 笹倉家の直系。つまり親から子へ、そして孫へ。さらに曾孫へと言うことだが、三代目の長右衛門の代で最盛期を迎えたが、跡取りがいなったので、長右衛門の弟が跡を継いだ。養子を取れば良いのだが、お家の事情でそうなった。
 長右衛門の上の弟が継いだのだが、下の弟との跡目争いで家が乱れた。二分され、兄弟ともに亡びたようなもの。相打ちだ。
 それで残るのは長右衛門のもう一人の弟の子供が本家を継いだ。しかし、その頃は笹倉は勢力を失い、かろうじて生き残っているだけ。落ちぶれた家なので、跡目争いも起こらず、そのまま代を重ねた。
 鎌倉時代。御家人の一人として名を連ねていたほどなので、名家。由緒正しい家柄だが、鎌倉の時代以前はそれほどでもない。源平の戦いのとき、活躍したので、取り立ててもらったのだろう。
 この笹倉家。戦国時代になると、浪人になる。仕えていた大名家が亡びた。
 それで仕方なく勢いのある出来星大名の家来になるのだが、元を正せば鎌倉の御家人。その戦国大名家の中では一番の名家。ただ、あまり知られた家ではないので、それは黙っていた。
 最盛期の三代目が領していたところがある。ここは善政を敷いたらしく、土地の人も覚えている。鎌倉の時代なので、もうかなり古いのだが。
 笹倉長右衛門。子供がいなかったので、直系の子孫は残っていないが、笹倉の末裔はまだいる。名は隠していないが、由緒のある家だとは誰も知らない。特に名を馳せた人ではなかったので。
 ある日、寺から手紙が来ていた。聞いたことのない寺で、知らない寺。しかし、場所は思い当たる。長右衛門が治めてた地方だ。
 これはあとで分かるのだが、その寺、長右衛門が建てたもの。
 笹倉家の末裔は、縁のある土地へ帰ることも考えた。旧笹倉領内は荒れ果て、何分割かされ、纏める人がいないらしい。
 この地では笹倉の名は大きい。いつ消えるか分からない出来星大名で低い身分のまま過ごすよりもいいかもしれない。
 末裔の当主はそう考えたが、自分にはそんな力はないし、旧領を一つにするとか、そんな大仕事など出来そうにないことを知っていた。
 それに食うに困っているわけではなく、一族も少ない。手足になって動いてくれる家来もいない。
 それでその末裔の当主。話を受けないことにした。そして戦国の世、断絶せず、幕末で続き、今も続いている。
 今の末裔は名を変えている。そしてたまにそっと長右衛門が建てた寺に参ったりする。この人の弟から別れた血筋。没落させてしまったことを詫びに行っているのだろうか。
 
   了
  

 

 


2023年5月12日

 

小説 川崎サイト