小説 川崎サイト

 

退屈

 
 今日は特に何もない平凡な一日になりそうだと田村は思った。面白味のない日。
 では、そうではない日とはどんな日だろう。何か良いことがある日とか、待っていたものが届く日とか。今までやったことのないことを始める日とか、思い付くまま想像したのだが、実際にはそれほどでもなく、かえってしんどい日になったりすることもある。
 企てのない日。これだろうと田村は考えた。企みだ。悪いことを企んでいるわけではないが、一寸し刺激物だろう。これは実際には大したことではなかっても、それが先にあると、少しは楽しめる。そのものを楽しむのではなく、それが先にあることが楽しい。
 遠足の前の晩のように。
 実際に遠足に行くと、それほどでもなかったりするが、これが待ち望んでいた遠足から思うと、楽しまなければ損だという気になる。御馳走を見ているだけではなく、食べているところなので。しかも全てが見たことのない場所。
 しかし、その日は見事にこれといったものがない。いつものことをこなすだけ。しかし、それを安心してこなせない日もある。落ち着きのない日だ。これは何かが覆い被さっているような日だろう。
 いつもの用事は楽しくも苦しくもない。そう言うものだと思っているし、難しいことではない。毎日できることなので。
 しかし、今日は何もない。そう考えることを退屈というのだろうか。毎日同じことの繰り返しではつまらない。一寸した変化が欲しい。そういうものは田村自身が企てたり、発見したりして、見付け出し、少しは刺激を味わう。
 そのネタが長持ちすれば御の字で、これは当分持つ。上手くいけば数日。さらに一ヶ月とか一年も飽きないでやれるかもしれない。流石にそれが毎日なら飽きは来るが、それでもまだ引力はあるようで、引っ張られるものがあるうちは生きている。
 それが一生続くならライフワークになる。そのことをずっとやり続ければ、既成事実として、そうなる。
 田村はそこまで望まない。今日は何もない日なので、少しだけ何かがあればいいだろう程度。これはそのままにしていても向こうからやってくることもある。探さなくても。
 そのためかどうかは分からないが、田村はあまり退屈とは縁がないようで、退屈で退屈で仕方がないという状況は滅多にない。閉じ込められておれば別かもしれないが、普段の暮らしの中で退屈さを感じることはほぼないだろう。
 これは小さな刺激でも、満足を得るためかもしれない。また退屈しないような工夫もやっている。
 しかし、今日は何もない。そういう日は体の力を抜き、気力も抜き、のんびりと過ごせばいいのだろう。
 
   了

 


  


2023年5月13日

 

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