小説 川崎サイト

 

日常の爆弾

 
 何気なく過ごしている日常でも、そこに爆弾が入っていることがある。それが爆発すると、町内は空襲に遭ったようになるが、そういう火薬の爆弾ではなく、トラップや偶然の悪い遭遇とか。
 これは地震ではないが、ある程度予想されている。だから知っているのだが、毎日それを確認したりしない。いつ来るか分からないので。しかし、いつ来てもおかしくない頃だったりする。
 それが、今来たかということになるが、その人の物語上、ここで、それが入るのかとなる。大きな災害なら物語が変わるだろう。
 これは事故とか、病とかもそうだ。ここで来るか、という感じで、いきなり来たりする。これも予測出来ることであっても、普段はあまり気にしていない。多少は気をつけるが。これは交通安全や健康に気をつけて、などで、習慣になることもあるが。
 だからといって日常の中に無数の地雷が仕込まれており、踏むと爆発するのなら、歩けない。
 気にはしているが、今ではないだろう、いつかだろう程度。
 本気でそのあたりの日常の地雷を考えると、地雷のタネには困らなかったりする。いくらでも増やし続けることができるが、そこまでは増やさない。ある程度を越えると取り越し苦労になる。
 しかし、その取り越し苦労が当たって、難なきを得たのなら良いが、防ぎようがない場合、同じことだ。ただ、予想をしていたので、少しはクッションになる。
 覚悟ができていたのだろう。しかし、日頃から、そんな覚悟を複数持っていると、苦しい。心配事の塊のようになり、数が多いと、それが起こらなくても爆発しそうだ。
 しかし、ある時は予測したり、覚悟をしていても、しばらくすると、忘れてしまうこともある。
 何が起こっても、その時はその時程度がいいのかもしれないが、未然に防ぐことは難しい。しかし、その防ぐための動きが災いになったりする場合もある。
 何事に関しても超然と構え、などはどだい無理だろう。ただ単に鈍いだけかもしれない。
 しかし、物事が起こってみると、よく出来た話のように思われることもある。自分のストーリーに組み込んでしまうためだろうか。
 
   了


  


2023年5月15日

 

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