小説 川崎サイト

 

虫の音

 
 さほどでもない日々が続いていた。それほどでもない日々に近いが、田村は差ほどでもないと解釈している。差がそれほどないと言うこと。昨日と今日とでは。
 外からの変化はなく、あってもさほどでもないため、乱されることはない。一寸何かがあるとパニックになるわけではないが、気になることが起こると、やはり乱される。ただ、その程度なので、さほどでもない。
 それも程度によるが、その程度が低いと、それほどのことにはならない。
 外からの何かではなく、内側にも外側のようなものがあり、そちらの影響もある。内面という心理的な問題ではなく、体の調子とかだ。
 これは毎日違うが、それほどの差はないので、田村言うところの差ほどではないことになるが、やはり波があり、これは自然に発生するような感じ。
 そして今日の田村は大人しい。静かだ。波風が立っていないのだろう。これは逆に刺激がなく、平々凡々としたもので、何か頼りない。一寸した喜びとか興奮とかの刺激物が欲しいところ。一寸で良い。香辛料程度で。
 しかし、唐辛子は無理だ。ただ、少量なら何とかなる。
 元気があるのかないのかが分かりにくい日がある。特に調子が悪いわけではなく、普段通り。いつもの田村の状態なのだが、何か一寸違う。この何かは一寸分からない。ただの気のせいだろう。
 しかし、そういう日もあってよい。いつも元気が満ち満ちていると疲れる。元気溌剌なのは良いが、持たない。
 それで、少しクールダウンし、大人しくしているのだが、また復活する。また刺激を求めてと言うよりも活気が欲しくなる。唐辛子をなめれば解決する問題ではない。
 しかし、こういうものを解決しても、それほど意味はない。あまり影響はないためと、自然にやって来る波のようなものなので、その変化に任せておいた方が良い。波はすぐに変わり、高くなったり低くなったり、また、なかったりする。
 水面鏡の如しでは退屈だろう。しかし、たまにはいい。
 それで、今日はそういう日かと思ったのだが、小波が立っている。だから鏡としては皺が多い。
 先ほども田村は考えたのだが、内部の中に外部があるようだ。内部だと思っている箇所が実は田村には制御できないし、知りうることもできない外部だったりする。内面から沸き上がる何か。田村自身から発しているのだが、それは田村のようで、田村ではなかったりする。
 そういうのが波風を立てているのだろうか。昔はそれを虫の居所が悪いとなる。良い場合は虫は良い場所にいるのか、元気の良い虫が動いているのか、それは分からない。
 内面の声を聞けとは、虫の音を聞けと言うことだと田村は解釈しているが、聞いているだけで、はいそうですか程度の話だろう。
 それらの虫を使い、役立てるなどは虫のいい話だ。
 
   了


  


2023年5月18日

 

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