小説 川崎サイト

 

有り難い

 

 その日は朝からよくあるような日で、何でもない凡々たるもの。下田は時々そんな日がある。
 では毎日何かがあるわけではないが、気になることがあったり、調子が優れない日もある。こういう日は凡々たる日ではない。
 その日、特に用事はなく、自由な時間が待っている。それを有益に使うようことができるのだが、やる気がない。ちょうど調子の悪い日に何もしたくないのと同じ。
 その日は気を張らなければいけないこともないので、張りきる必要もない。気張らなくてもいい。気は緩んでおり、怠い音が出る程度。
 たまにそういう気の抜けたような日があるので、珍しくはないのでまた来たかと思う程度。これには解決方法はなく、自然に消える。だからやり過ごせばいい。
 しかし、体も正常だし、動きも悪くはないし、何もしないだけで、やろうと思えばできる。この状態は何だろうかと、ときたま思うのだが、良く考えると有り難い話かもしれない。
 つまり無事に過ごせているためだ。無事というのはこのことかもしれない。禍がない。あるにはあるが、それが頭を出してこない。
 無事なのだから、何事も起こらないということ。良いことも悪いことも。事が無いのだ。
 しかし、日常は事だらけでその連続。ただ、問題になるような事ではないので、普通にこなせる。
 事が大事になると、ただのことでは無くなる。只事では。
 だから凡々としたことが続いているのは幸いなのかもしれない。しかし、何故か退屈な気もするが、そういう日は貴重なはず。大事があったとき、あの何でもな日々が有り難く思えるように。
 その有り難い日が今日なのだが、あまり有り難くはない。そういうものだ。
 
   了


 


2023年6月16日

 

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