小説 川崎サイト

 

鼻歌

 

 あることが気になり、それが他のことをやっていても並行して実行され続けていることがある。
 そのあることが、今やっていることに影響を与えることもあるが、別のことになるわけではない。軽い影響。そして気になっていることが入れ替わる。先ほどまで気になっていたのだが、頭から去っている。
 そうやって順番に色々な想念のようなものが浮かび上がるのだが、ただの思い出だったり、先の予測だったりもする。これはただの雑念のようなもの。
 しかし今やっていることだけを思いながらではなく、常におまけのようなものが並行してある。
 そして集中しているときは、そんな雑念は起こらないが、メインでやっていることも忘れていたりする。集中しすぎると何も考えず、思わない状態になることもあるが、それほど続くわけではない。
 このメインとは別に横で動いているものが結構曲者で、それらは作為的ではなく、いきなり浮かび上がってくる。
 ただ、メインでやっていることが退屈だと、別のことを呼び出して考えたりする。これは作為的だ。自然に浮かんだものではない。
 自然に浮かんでくる雑念。これは急に聞こえてくる音楽もそうだ。鼻歌ではないが、勝手に音楽が鳴っている。歌詞がある歌ならその文句も出てくる。何故その歌なのかが分からない。
 選んだわけではないが、以前に聞いたことのある曲なので、それがいきなり湧き出るのだろう。ただ、その時の心境のようなものが反映しているように思われる。リクエストした覚えはないが、ふさわしい曲とか、逆にこの曲は今は駄目だろうというのもある。調子の良いときは、湿った歌が出てきたりする。その逆も。
 作田はそれを状況把握で使っている。何をしているのだろう。ややこしい人だ。
 それは体調とか、今の気分を、それらの音で知るという程度。ああ、今は調子が良いのだなとか、悪いのだなとか。曲で分かる。
 これも自分でリクエストしては駄目だ。勝手に鳴り出すので、それを待つ。しかし、始終そんな音が鳴っているわけではない。
 思わず口ずさんでいる曲。音だ。旋律だ。そして歌詞。これは詩だろう。言葉だ。
 これは作田が発しているのだが、そうとは思えない。そんな気はないので。では、誰が針を落としたのだろう。作田しかいないので、作田には違いないが、作田の意志ではない。
 しかし、作田にとり、その現象は役立っている。あの曲が聞こえ出せば、今日は調子が良いぞとかで。
 メインではなく、横で並行して起こっていること。大した意味はないのだが、何らかの事柄を見出せないこともない。
 
   了


 


2023年6月24日

 

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